吉本隆明「フランシス子へ」
時折、無性に活字をむさぼりたくなるのは、たぶん。自分でも気付かずに、落としどころのない気持ちの澱みを活字で補おうとしているから、なのか。
こういった思いや行為の意味付けを自分でしてしまうこと、それをまるで見透かしたように、吉本隆明は、さらりと釘を刺す。
「僕は、自分のやったことに積極的な意味をみだりにくっつけたりしたら、自分はもうだめだって思ってやってきました」
そんな吉本さんの、遺作になってしまった「フランシス子へ」を読了。
- 作者: 吉本隆明
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2013/03/09
- メディア: 単行本
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先立たれた愛猫フランシス子についての書き出しから、やんわりとこれまでの人生の総括のような、振り返りをする。
晩年に出された本をいくつか読んでいた方なら、内容はほとんど被るんだけれど、それらのことを、もう一度違う言い方でも言えるよ、というような本になっている。100ページちょっとで字数も少ない。あっと言う間に読み終える。大袈裟ではなく、立ち読みでも済む。
つまらない前置きが長くなったのは、文中の以下の抜粋を無性にしたくなったから。海中静かにいかりを落とす様に。
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平和な時代に生きている若い人たちは、またちがう問題でいろんな心残りがあったり、いろんなことでこれは失敗だったなとかそういうことを感じながら生きているんだろうなと思いますけどね。何かを目指すことはいたしかたのないことで、解決できなくてもそれは悪いことではないと思います。
ただ、このごろよく思うのは、何か中間にあることを省いているんじゃないか。
何か大事なものかそうじゃないか、それもよくわからんのだけれど、本当は中間に何かあるのに、原因と結果をすぐに結びつけるっていう今の考え方は自分も含めて本当じゃないなって思います。
何かを抜かして原因と結果をすぐに結びつけて、それで解決だって思おうとしてるけど、それはちがうんじゃないかって。
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中間をおろそかにしないってことを、独自の観点で突き詰めていったこと。僕は、そこに、無性にひかれます。