勇気と想像力、そして少々のお金

きれいごとを言わない、をモットーにしてますが、時折言ってます。

10年

タイムラインがすっかり全盛の今、短い活字で何かを言おうとすれば、いつも自分の嫌らしさが手伝ってもっともらしい事や偉そうな事を言いたくなってしまい都度躊躇してしまうんですが、そもそも活字(や語り)って、そういったもっともらしい事を言う手段のひとつなのであって、変に気にする事もないのかもな、ともひるがえって思ったり。
そんなつまらない思いは、またこう活字にして頭を巡り宛のない答えを探し続けてぐるぐると。

脈略のない話ですが。

10年経ったんだ、と思います。
「10年同じ事をし続けて、モノにならなければ俺の首をやるよ」と吉本隆明は言ったのですが、僕自身、仕事でこの業界に浸かってすっかり17年(あっという間だ!)お世話になっているのですが、ビジネススタイルとして訪問もせず「接客」に特化したやり方に限定してやり続けたのが約10年前、吉本隆明の言うその10年を僕なりに一つの道標としてやってきたのですが、色んな変化はあったにせよ、気付けば経過していました。
本当に毎日、知らない人の身の上話を聞き続け、時に笑い、時にジンとして、時に激しく憤り、時に寄り添い。それは人と人がかかわり合う誰の仕事にも当たり前のように生じる当たり前の風景でしょうが、それが自分にとって「当たり前のようにでき続けた事」が、吉本隆明の言う文脈の解の一つなのかもなと思います。何かをし続けるとは、そういう「身体」にもうなってしまっているという事なので。

ここでの10年は、あえて例えとしての10年なのでしょうが、的確なアドバイスほど具体性がないと響かない事を思えば、とても良くできた助言であったなと。本の中にあった言葉で別に僕が言われた訳でも何でもないのですが、事実、勝手にこの言葉に支えられてきました。

これは、結婚生活にも言える気もします。ん、いや、どうなのだろう。
また、これについては違う側面がありそうなので、ちょっと一緒にはできそうにないかも。できないですね。

と、随分久しぶりにこうやってブログを書いているのは、札幌の三上さんが一つ前(随分前だな)のブログ記事に「元気なの?」とコメントをくれたからで。久しぶりすぎてびっくりしました。

ふとした折に、そうやって気にかけてもらえるというのは、嬉しいものだよなと思います。だから今日はその優しさに勝手にほだされて書いています。
誰だって、誰かに気にかけられて折に触れて声をかけてもらえたなら、嬉しいですよね。間違いなく。

ということでまた。
僕も人に優しくありたいと思います。できるだけ。


子供たちも、人に優しくあって欲しいと願うばかりです。

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