忘却
ただいま25時42分、既に9月12日になっている。記憶を辿りながら、書こうと思う。
帰宅してすぐのこと、下川さんから電話。「あのさー、今ねぇ、中目黒のどこどこで飲んでるんだけど、来ないー」行ける訳が無いことを承知での愉快犯。その声、突然の電話に気遣いながら、陽気そのもの。相変わらず。笑うしかない。そこに一緒に連れ添って飲んでいた中山さんにも電話をかわる。「どうも〜、中山ですー。えへへ〜」。笑った。相変わらずの中山さんだ。気心の知れた友人2人が(若干の歳の差はあるにせよ)、愉快に飲み交わしている。双方少しばかり話をさせてもらい、うちの出産のお祝いの言葉をいただきながら、またの再会を誓い電話を切った。食卓に付き、下川さんと中山さんが飲んでるらしいんだ、と妻に伝え、買ってきたビールをあけ、秋刀魚とゴーヤチャンプルをいただいた。
9月11日だったのだ。
食後、風呂も入らず子ども達と一緒に布団に入り、こっそり布団を抜け出そうと試みるも一緒に寝落ちてしまう。先程シャワーを浴びて今に至る。食卓で、ちょっと残してきた仕事をする前に、こうやって書いている。ついさっき飲み残した缶ビールをグラスに注ぎ、氷を入れて飲みながら。
乾杯。
hayakarさんの命日を、すっかり忘れていたよ。25時過ぎにむくっと起き上がって、トイレに座って、iPhoneでfacebookを辿っていたら、りんたろーさんの投稿でハッとなった。ありがとう、りんたろーさん。昨日は命日だったのだ。9.11で、アメリカ同時多発テロと同じ日で、忘れる訳がないと思っていたのに。僕はすっかり忘れていた。まだ、2年しか経っていないのに。
下川さんと中山さんが一緒に飲んでいた。なのに気がつかなかった。彼らは知っていて、たぶん、そっと乾杯していたのだ。hayakarさんにまつわる人たち/仲間を思いながら、あの当時とそれほど変わっていない今を生きている。
僕は、こうやって色んなことをどんどん忘れて行くのだろうし、自分に都合のいいことを優先し、きっと、そうやってこれまでもたくさん忘れてきたのだと思う。思い出してはハッとなってを繰り返しながら。
それを、特に卑下する訳ではなく、また当然のこととして肯定する訳でもないのだけれど、何と言うべきか、それは自分がこれまでなんとか藻掻いて生きてきた「事実」という他に無い気もする。良くも悪くも。申し訳ない気もするけれど。
2020年に東京オリンピックが決まったこと、hayakarさん、何て言うんだろうな。もしかしたら、案外楽しみにしていたかもしれない。
hayakarさん、イラスト拝借。
忘れてて、ごめんなさい。薄いビールで、改めて乾杯。