勇気と想像力、そして少々のお金

きれいごとを言わない、をモットーにしてますが、時折言ってます。

生きるというベクトル

吉本隆明の本を2・3冊平行読書していて、よく同じようなフレーズが出てくることがある。それはきっと、本人が何遍も繰り返して伝えたいことなんだろうなぁと解釈している。巡り巡ってもそこに行き着くという言葉があるんだろう、きっと。だから余計に気になる。

真贋

真贋


よせやぃ。

よせやぃ。


その繰り返すフレーズの中に、「生きるというベクトルに、どんな時でも向かっていかなきゃダメだ」という言葉がある。この言葉を読んでガツンときた。
先日祖母が死に、それにまつわる色んなことを思い返していたら、その「生きるというベクトル」に対して向き続けるという行為がなんとなく分かった気がしたからだ。
変なものだ。
きっと、その腑に落ちた感覚もすぐに忘れてしまうのかもしれないけれど、身近な人の死が教えてくれることは計り知れないなぁと思う。
あと、また同じような繰り返すフレーズの中に、「死はその本人に属さずに他人に属しているもんだ」という言葉もある。これも、もしかするとその通りかもしれない。
「真贋」は吉本隆明の本にしては格段に読みやすかった。娘のばななも絶賛していたようだ。「よせやぃ」は4人の対談者の質問に答えていくという形式だけど、1の質問に10以上答えるような内容で、文字数もページ数も多く読み応えが合って非常に良いです。好きですね。
まぁとにかく、生きるというベクトルに向かって生きなきゃダメだと、そう思います。たとえその本意を誤読していたとしても。