勇気と想像力、そして少々のお金

きれいごとを言わない、をモットーにしてますが、時折言ってます。

未来は明るいんじゃなかろうか

先行きの不透明さや不安が何によってもたらされるのかわかりませんが、僕の周囲では(日本や世界の)将来を「明るいぞ」と楽観するより「こりゃ大変な世の中になっていくぞ」と悲観する声の方が多い気がします。そりゃそうだろ、と思う方もいるだろうし、そうなのか?と思う方もいるだろうし、どちらへの気も置いてない方もいるんじゃないかと思います。
僕は、将来は明るいんじゃなかろうか、と思っています。思い込みに過ぎないのかもしれませんが。理由の一つとして、生き方の「工夫」が昔に比べて/年齢と共に随分しやすくなっていくし、選択肢も増える。もちろん、行動力と、ちょっとした勇気さえあれば。
僕自身の37年の尺度でモノを言っちゃおかしいけれど、それでも未来は明るいんじゃなかろうか、と思っています。誰の未来でもなく、僕の見ている未来の話ですが。
ライフネット生命の出口さんのブログを以前読んで、いい事言うなーと思ってて、それを忘れないようにブログに綴ろうと思ってたのを思い出したので、書いています。前置きが長くなりました。

「日本の将来は明るい」
http://blog.livedoor.jp/deguchiharuaki/archives/29956169.html

公において改善すべきことがわかっていれば。個人においてやりたいことや過ごしたい生き方がわかっていれば。その、それぞれが、時折具体的にわかっていけば、未来は明るいと言い切ってもいいんじゃなかろうかと思います。

雑感。8月へ。

これはやっておきたいなとか、この本は読んでおきたいなとか、この資格は挑戦してみたいなとか、ちょっとした物欲を満たしたいなとか。まさに、字面の通り、最近は精神的な欲求がひどいくらい中途半端なので、具体的に自分の中での物事が、一向に進んでいない気がする。
また、その進んでないことを自覚しながらも、平気で棚上げしている。
すべきことの優先順位は日中に難しい顔をしながらこなせている気もするが、もっとその優先順位が乱れるような打ち込み方をしたい。それが、遠巻きな欲望かもしれない。

「毎日暑いですねー」と人と会うたびにどちらからともなく声を掛け合う。この季節ならでは。夏は、やっぱり嫌いじゃない。

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3連休、投票期間

金曜日と土曜日に休みを取って、家族へどこかへと目論むも、下の子の発熱で断念。結局息子と2人で庭にて(正確にはベランダで)プールをしたりバーベキューをしたり、部屋でもらっていたモンスターズインクを見たりして過ごした。

昨日は息子の通うスイミング主催の海水浴があり、スクッと6時前に起きだしては文字通り小躍りしながら家を飛び出した。

後、4日も行けば学校も夏休みに入る。妻の多忙っぷりが思いやられるも、個人的に夏休みは昔から何も変わらず、無責任に大好きだ。

今日はスイミングの友達と遊ぶ約束をしたらしく、(私を除き)みんなで遊びに行くらしい。大いに結構だと思う。

 

参院選の選挙期間である。期日前投票と呼ばず、この一週間は投票期間です、とすればいいのにと思う。

「選挙区」にしろ「比例代表」にしろ、まだ迷ってます。政治の力で、やって欲しいこと、むしろやって欲しくないこと、を、もちょっと考えようと思います。

TinyScanで効率化

撮った写真なら何でも四隅を自動構成してPDFへと変換してくれるTinyScan(iPhoneアプリ)がとても便利で、出先でコピーやFAXが必要な書類をPDF変換して、自分のメールに飛ばしまくっている。また、個人的に長く保存すべき書類などを撮ってはevernoteに貯めつつ活用している。

スキャナアプリは色々あるだろうけれど、前使ってたのよりもどんどん便利になっていくし(iPhoneが5になってカメラ自体が良くなったせいもある)、写真でためておくよりも変換後のファイルが軽くてそれもいい。

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これほど仕事で使えるアプリも無かったなと思うのは、たぶん、僕の関わっている仕事自体が、まだまだ紙ベースで動いているという現れなのですが。

しかしまだ、この紙体質はしばらく続くと思います。業務の必ずどこかで行政機関との関わりが発生しますし、検査や監査も厳しくなってきますし。ペーパーレス化をしているはずが、違う行程の作業で紙が増えたりといった局面もよく目にしますし、事実直面しています。ゆっくりとした変化の過渡期では、その踊り場もやや広く長い気がします。

このTinyScanは、個人的にペーパーレスを目指しているものではなく、あくまで「紙」は大事であって。何を効率化できているかというと、ある「必要な紙」を僕もしくは誰かが足を運んで相手からもらってきて、それを会社で処理し、最終的に提出するまでの行程において、劇的に楽になったという訳です。

そのツールがどう使えるのか試行錯誤しつつ「自分勝手に試していくこと」が、結果として効率化に繋がるなと仕事をしながら思います。

 

道具が、iPhoneなどの電子媒体になった途端に、ヒャッヒャ言いながら昔はよく溺れてましたし、不必要に触ってましたが、今はいい距離感で付き合えてきている気もします。

飽きてきた訳ではないのですが、物欲の低下なのかそれは何だろうなと思うんですが。とりあえず、今は年齢のせいにしています。

五十六、備忘録

 

たいてい、人と一緒に何かをやろうと思ったら、その仕事や手順や要領を、自分が教わる側にもなれば、教える側にもなります。

自分のことは、とりあえず棚に上げるくせに、人に教えたことが全然上手く行かなかったり、その人が優先順位の付け方を間違えたり、要領を飲み込めない状況が何度か続くと、正直腹が立ちます。

でも、そんなときに、(詳しくその人となりは正直知らない)山本五十六の言葉を思い出すだけで、自分が間違っていたと思えるのは、その言葉が、自分の足りない部分の縮図でもあるからです。

やって見せて、言って聞かせて、やらせて見て、ほめてやらねば、人は動かず。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。

ふむむ。

改めて引用したら、なんて難しいんだと。。。子育てから見直そう。。。

 

日々の起伏

うまくいくこともあれば、なかなかうまくいかないこともあり、それを繰り返しています。仕事でも、家庭内でも。

先日も、ちょっと夫婦喧嘩をしたりして。

しばらくして、怪訝そうに一年生の息子が寄ってきて、「なんで、おとうさんは、あやまらんの」と言われる始末。息子にいつも「お母さんに謝りなさい」と諭す父への復讐か。

それでも、葛藤の末に、素直に謝れないわたくし。こればっかりは、情けなかったな。

子どもはよく見てる。ほんとに、よく見てる。この目線ほど、的確なものは無い気がする。

 

別府日帰り温泉、雪。

 

今日は仕事のため、妻が子どもを連れてうちの実家へ帰省してくれている。車で約1時間。ありがたいなと思う。本当にありがたい。

 

くれぐれも、懺悔のエントリではありません。

吉本隆明「フランシス子へ」

時折、無性に活字をむさぼりたくなるのは、たぶん。自分でも気付かずに、落としどころのない気持ちの澱みを活字で補おうとしているから、なのか。

こういった思いや行為の意味付けを自分でしてしまうこと、それをまるで見透かしたように、吉本隆明は、さらりと釘を刺す。

「僕は、自分のやったことに積極的な意味をみだりにくっつけたりしたら、自分はもうだめだって思ってやってきました」

そんな吉本さんの、遺作になってしまった「フランシス子へ」を読了。

フランシス子へ

フランシス子へ

 先立たれた愛猫フランシス子についての書き出しから、やんわりとこれまでの人生の総括のような、振り返りをする。

晩年に出された本をいくつか読んでいた方なら、内容はほとんど被るんだけれど、それらのことを、もう一度違う言い方でも言えるよ、というような本になっている。100ページちょっとで字数も少ない。あっと言う間に読み終える。大袈裟ではなく、立ち読みでも済む。

つまらない前置きが長くなったのは、文中の以下の抜粋を無性にしたくなったから。海中静かにいかりを落とす様に。

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平和な時代に生きている若い人たちは、またちがう問題でいろんな心残りがあったり、いろんなことでこれは失敗だったなとかそういうことを感じながら生きているんだろうなと思いますけどね。何かを目指すことはいたしかたのないことで、解決できなくてもそれは悪いことではないと思います。
ただ、このごろよく思うのは、何か中間にあることを省いているんじゃないか。
何か大事なものかそうじゃないか、それもよくわからんのだけれど、本当は中間に何かあるのに、原因と結果をすぐに結びつけるっていう今の考え方は自分も含めて本当じゃないなって思います。
何かを抜かして原因と結果をすぐに結びつけて、それで解決だって思おうとしてるけど、それはちがうんじゃないかって。

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中間をおろそかにしないってことを、独自の観点で突き詰めていったこと。僕は、そこに、無性にひかれます。