生キャベツ
嫁さんがテーブルに出してくれた茹でたての枝豆と生キャベツに奇声を上げながら群がる二人。お皿を矢継ぎ早に床におろしていつものセッティングを始める。なかなか器用にもろみをつけて文字通りバリバリと音を立てながら食べる息子と向かい合い、息子は水を、僕は焼酎を飲みながら。二人とも枝豆と生野菜に目が無いのだ。
つい先日、初めて朝に「お父さん何で仕事に行くの」と聞かれた。そんな時のためにこっちがあつらえていた「お前と休みの日にたくさん遊ぶためだよ」というセリフを吐いているそばで息子は身を翻してどっかに行ってしまった。そりゃそうだ、そんな理屈ばかりの言葉は耳にも留まらない。
息子の食べるキャベツともろみの比率が気に食わない僕は(もろみを多く取りすぎるので)キャベツに多めにのったもろみをめがけて口に入る前にパッパと取る、と、その度に温度の下がった表情を向けてくる。こっちは笑顔でやり過ごすんだけれどその下がった温度はしばらく戻ってこない。しばらく彼の中での葛藤が痛いくらいに伝わってくる。そんなことを繰り返しながら言葉の無いやり取りの中でも緩やかなコミュニケーションが成立していけるのはたぶんそれぞれの一方的な信頼関係なんだろうなとぼんやり思いながら、これって日々の仕事における行為の‘何か’とすごく似てるんだけどなんだっけな、なんて思っては消えていく。
来週は幼稚園の面接らしい。まったく勝手に襲ってくる日常に彼もこれから揉まれていくのだ、当たり前のように。
こうやって二人で向かい合って過ごすわずかな時間に僕は色々考える。最適なキャベツの食べ方からもろみの配分、仕事のこと、欲しい物のこと、友人のこと、家のこと、ろくでもない妄想、そんな取りとめもないことを浮かばせては消していく。そんなとき、息子は僕を前にして、一体いつも何を思っているんだろう。