8月の6日と9日
昨日の6日は広島に原爆が落とされた日。もう63年目になるんですね。9日は長崎です。
語ることをためらうことは無い、まったく無い。
若いうちは戦争について色んな事を思ったし(それは今でも)、アメリカ側の意見を鵜呑みにしたり、日本側の立場に翻って思いを馳せたり右へ左へぶらぶらしてきた。若さとはそういうことだと思う。言ってる自分に常に自信が無いのに熱さだけがある。
で、思うのは、何かを語るときに、一番近くにいる人やモノに思いを馳せることが、一番の近道なのかもしれないな、ということ。ただ、若いうちには一番近くにいる人やモノがわからないから厄介なわけで。しかもまだ自分を固定したくない、という変な思いもあったりして。
そういう意味では、少しずつわかってきたのかもしれない。そう思う。
原爆が落とされたおかげで戦争が終わった、などという理屈が、ちょっとでも正しく聞こえたとしたら、
「それはもう、とてもおかしいことなんだよ」と、ぼくは言いたい。
いや、仮にその理屈が正しいとしたって、ぼくは正しくない側にいるつもりだ。
<糸井 重里>
正しさっていう基準なんて、あってないようなものなんだ、きっと。そして、この件に関しては、僕も「おかしいことなんだ」、と言える人間でありたい。