勇気と想像力、そして少々のお金

きれいごとを言わない、をモットーにしてますが、時折言ってます。

国税の行方、選挙近し

税金の話と政治の話を素人が掻い摘まんで書くことは難しいなぁ、と分かっていながらも確認をこめて、言いたいことが言える箇所まで書いていこうと思います(勘違いしていたら是非訂正をコメント下さい)。
今の政治の話って、もはや霞ヶ関に集まっているお金の争奪戦になっていますから、その発生源となる個人レベル、つまり自分目線で追っていきます。

個人が納める国税

毎月の給料から引かれていく税金(メインは所得税)と、生活上の消費する行為の度に引かれていく税金(消費税の4/5はもちろん僕のメインは酒税と揮発油税だな)と、持っている資産から引かれていく税金(贈与や相続や固定資産はまだ無いのでいまんとこゼロ)という、「所得・消費・資産」の3つに綺麗に課税される仕組みの国税。上手いこと出来ています。
(*その住む場所に対して支払う住民税(都道府県民税と市町村税)等の「地方税」や、社会保険料(厚労省管轄)や、法人税等はここでは置いときます)
国の事業、地方への配分を追うと

で、この全国の個人から集められた税金は、中央省庁(1府12省庁)の一つ「財務省」に一旦集められます。で、その集められたお金をどう使って行くのか、どう配分していくのか、が大事なんですよね。基本的な予算配分は国会にて決められていくわけですが、今盛んに道州制の議論を軸に考えていくと、国の事業は「財務省」が、地方への配分は「総務省」が、と2つに分かれていきます。ここで使途が横の繋がりの無い縦割りの2つに分かれるわけなんですね。なんとなんと。

国税

財務省主税局>国税庁>国税局>税務署)
地方税

総務省自治税務局>地方公共団体>税事務所・税務課)
http://www.ifinance.ne.jp/learn/tax/txb_2.htm

道州制のやり方を間違えたら結局は総務省の権限を強くするだけだ」、という話の根っこはここにあるんだなぁと分かります。
また、もろもろの根本は「お金を配ってやるぞ」、という権限を一つに集めすぎていること自体が問題なんだということですよね、きっと。無駄遣いと利権の温床になるわけですから。使い方と、税金を中央に集める比率の問題というか。
「じゃあその辺を新たに決めなおそうじゃないか」、と当然思うんですが、この辺になって気が付くことは、ちょっと問題が自分の手を離れてはるか遠くに行ってしまったな、とそんな気になることです。具体策が提示できないし。でも、そこで諦めちゃうといかんと思うのです。各政党や政治家はその辺のことをどう言っているのか、そこが僕は気になるわけです。

選挙で選ぶ政治家に期待する役割

国に対して個人に出来うる思いつく行為は、「発言すること、お金の使い方を選ぶこと、選挙で人を選ぶこと」じゃないかと思います。
で、来る衆院議員選挙で9月には自民にしろ民主にしろ連立にしろ新政権が決まっているわけですが、「なんとか変わっていってくれないかな」と思うことは、各省庁のトップたる政治家=大臣の威厳が無さ過ぎること、つまり省庁の官僚の言いなりになってる構図をなんとかならないか、と。そこを変えなきゃ税金の使途と配分はもちろんムダは無くならないぞ、と思うわけです。

憲法上は国会を「国権の最高機関」と定め、「国の唯一の立法機関」とすることから、付与される政治上の権力は国会が最も大きい。しかし、憲法は内閣にも法案提出権を付与し、国会で成立する法案の大半は内閣提出法案であることから、実質的には内閣の権限が最大となっており、いわゆる行政国家現象が顕著である。さらに、内閣提出の法案は、内閣の下にある行政組織が作るため、行政組織の幹部職員、いわゆる官僚(キャリア公務員)が実権を握る官僚国家であるとも言われる。
日本の政治-Wikipedia-

各政党のマニュなんとかをちょこちょこ飛ばし読みましたが、僕は個人的にここの変化が出来うる政党にがんばって欲しいと思っています。お金の使途と脱官僚、ここの一点突破。あとははっきり言ってよく分からんのです。まだイメージが出来ない。
(*その点、後発政党の「みんなの党」はネーミングはさて置いてもマニュをがっつり固めて理念に共感できる人間を集めることが出来るんで、自民・民主に比べて立ち居地がブレずに済みますよね、まぁ当然ですが)
でも、マニュなんとか以上に政治家その人となりの魅力も大きい要素ですよね。生理的にダメな人はダメですし。選挙ってその辺も含めて難しいモノですが、逃げずに、それまでしばし周辺の人とあーだこーだと話しながら当日は投票に行こうと思います。