勇気と想像力、そして少々のお金

きれいごとを言わない、をモットーにしてますが、時折言ってます。

4月へ

暖かくなってきたと思って薄着の気持ちで過ごしていたら、やせ我慢が通じない肌寒い日が続いたせいで体調不良です。勝手にこっち都合で、もう春だからとかいう理由で薄着になっちゃダメです。

桜が綺麗だったりするんで気持ちが引っ張られてしまうんですが。

 

仕事の話で。昨年、文字通りに五里霧中で走り続けてきた成果が今年から着実に出てて、わーい、って思っています。

そもそも、やりたくない仕事しかない(来ない)、けど、運はそこにしかない。という萩本欽一の言葉を昔、書面で拾ってから。そうだ、その通りだしむしろこっちから首を突っ込んで行ったろう、と覚悟を決めて楽になった気もします。

あくまで結果論ですが。そして、まだまだ途上ではありますが。

 

そんなさなか、先日は息子の卒園式がありました。

子供とともに歳を重ねる自分を実感しつつ、意外に冷静に「今」を確認しながら必死に生きています。嘘じゃなく。

 

これまでの人生で、うまくいき続けたことなんてないので、次なる予期せぬ波風が立ったとしても、足を取られないような体勢を取れたらいいなと思っています。

 

(*自転車で買い物)

スガシカオが未だいい

スガシカオの新譜が出たら躊躇なくiTunesで買っていて(シングル250円)、軒並みいいので(「Festival」も「アイタイ」も良いですね)、昔のも無性に聞きたくなってまともに聴いたことのなかったアルバム「Sugarless」を購入、1500円。

スガシカオの曲を聴き続けて数年経ちますが、未だ買う側を後悔させてこないのも凄いもんだと勝手に感心してます。

Sugarless

Sugarless

 どこか聴く時間を作ってでもしばし聴き続けたいなという欲を久しぶりに味わいました。

この人の曲、時々その情景がほんとに手で触れそうなんですよね。

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昨年事務所独立してからますます楽しい感じです。


スガシカオ 「Re:you」 - YouTube

生きる推進力

先週末の時間をもてあました昼あたり、久しぶりに妻の実家へ帰省し甥姪と息子娘を連れ、近くの学校へ。

初夏のような気温のその日、あっという間に砂まみれになる子ども達にげんなりしながらも、開き直って薄いシャツ一枚になって一緒に遊んだ。

娘、校庭

 そんな中、親しい友人からメールを受ける。

それがやんわりと仕事に絡めそうな依頼で、遊びのさなか少し襟を正した。

ある状況で困った時に僕を思い出してくれて、何気なく声をかけてもらえるのは相当に有り難いことだと思うし、そんなとき僕はそのありがたさを数日にわたり何度も噛み締めます。そして、うまく報えたらいいなと現実的に努力が出来ます。生きる推進力の一つです。

そんな、与えてもらえる生きる推進力は、いつも何気ないこの日常の断片にある。

見栄じゃ食えない

それはとても小さな古めかしい、いつ商売をたたんでもおかしくないような佇まいの商店がここからちょっと離れたある町の隅っこ(文字通り隅っこ)にあって、仕事上でお世話になっている社長(57才)なのですが、その方の発した言葉が今でも耳から離れない。

付き合いもそこそこ長い(と勝手に判断した)ので不躾に色んな質問が出来る様になった昨年あたり、僕が「どこからどうやってこれほどの売り上げを上げているのか、さっき来られてた銀行の方(それはよく来る)や、当然身内を除けば誰もしらないでしょう?Aさんの商売のやり方がそれは特殊すぎますし。店構えからしたらどう考えても…失礼ですけど考えられないですよ」

そもそもAさんの商売は、店の看板としている業種は付き合い程度そこそこに継続しているような状態で、本業はそれとまったく違ったやり方で社長一人で各地を飛び回っているので当然店は形だけでいいのだけれど、あまりにも体裁というか看板を気にしない様子がずっと不思議で、経験的に僕はそんなある部分不釣り合いな人をあまり知らない。*1

Aさんはフフフと笑いながら「見栄じゃ食えんわ」と言ってまた途中だった作業に戻っていって、呆然と僕一人その言葉にガーンとなってた訳なんですが。

「見栄じゃ食えない」

余分なものを削ぎ落とし切ったその言葉が、見栄をまだどこかで張ろうとしている自分に、日に日にぐさっときてます。

*1:simpleAを除き

自分の人生を後悔するような卑怯者になっちゃダメだと偏屈に思っていた20代前後の不文律

*タイトルで全部を言い切る大村(id:omoon)さんを模倣しました。

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「それはね、よくないと思うよ」

ある会合にすっかり顔を出さなくなった僕に対して、先日所用で会ったナカハタさんが控えめに優しく言ってくれた言葉。諸々ごちそうさまでした(合掌)。是非また。

その言葉の想いや意図はわかりつつも、その会に対して僕の熱量がなくなっている気持ちを言わないまま、ズルズルと行かなくなった卑怯さを突かれたようで、ハッとしました。

だからどうしたというものでもないけれど、それが僕自身の生き方の問題でもあるんだろうなと多分に思いました。

その会の話はおいといて。 

これまでの自分のやり方や振る舞い方の足りなさを改めて自覚しながら、ただ、その都度本当に些細だけれど人生の局面において「何か」を選択をしてきたことが「自分」だし、それをのちに後悔をすること自体、とても卑怯なことなんだと自分に言い聞かせてきたなと。

つまり、自分の人生を後悔するような卑怯者になっちゃダメだと偏屈に思っていた20代前後の不文律が幸か不幸か今でも生きてるんだと言うことなんですが。

ある状況においてはそれを聞く人や関わる人によっては不義理を重ねることは重々承知だし、もちろん好感も持たれることもなければ、そんなこと言う自分が気に入ってるんだろうと言われればそれまでなんですが、もう、こればっかりはしょうがないなぁと思うばかりです。

 生意気かもしれませんが、その中身は、それはそれは優しい気持ちでいっぱいです。というか、そうありたいと本心で思っています。できているかは別物として。

コイズミさんの演説

友人などのTwitter経由で2度ほどこれとは違うYouTube動画を見てたのですが、今回のこれで確信。

「いや、こりゃすげーわ」と改めて思ったのが小泉進次郎氏のスピーチ。

もうびびる。

(4:00〜10:00過ぎまで。この5分強のスピーチたるや…)


小泉進次郎氏×岩瀬大輔氏×紫舟氏 G1新世代リーダー・アワード

小泉さんに対しての好きや嫌いといった感情を度外視しても、なんだろうこの場の空気を操る上手さ。村上春樹「ねじまきどりクロニクル」のワタヤノボルじゃないけれど(注:批判的な意味ではなく)悔しいぐらい上手いと思う。

言葉を他人より巧みに使うことの出来る人が「統率者」になる大きな素養の一つというけれど、この人はその素養を間違いなく持っている。こうなるともう、政治的な見解云々ではなく今後の言動が気になってしょうがない。

ふむ。

いやぁ、そう素直に認めたくないのに参ったなぁという話でした。

 

抽象的な家族の話

日々、色んなことがあります。誰にも、当然ですが。

タイムリーに自分の想いや出来事を親密さをもって誰かに伝えることが出来るという人生の形をとろうと思えばどうすればいいのか、と個人的に考え続けた延長線上に、僕にとっては一つ、その大きな超えるべき山として結婚というものがありました。もちろん人それぞれですが、それは僕にとっての一つ大きな超えたかった山だと思います。

ん、そんな山の話は置いといて。

最近、家族という親族というか、それについて考えることや関わることが多く、歳と共になのか、僕の生き方の傾向のせいなのか、都度やるべき/すべき/目指すべき優先順位が微妙に変わっております。

家族って、その形って、やっぱり凄いなと。

最近(親族とは全然関係のない)人たちの話の物語が凄く、身に染みながら人生を考えさせられています。粛々と日常をこなす方達の話はズンと腑に響きます。

日常的に。

その時に言えることと、事後報告の様にしか言えないことが人生にはありますが、その時に言えなかったことは、結局それがのちに言えたとしても、言えなかった「それ」を含めた自分として飲み込み毎日を過ごしているので、「それ」はいつしか自分のものとして内包していて、やっと人に伝えることができるという過程をとる時には、使用前使用後のようにもはや「人」が違う。つまり、「それ」が自分のものとしてどれだけ包めたかどうかで人生も人格も全然変わってくるんだろうなと思います。

内容が、抽象的というか支離滅裂でした。無念。

 

春が近いようでまだまだ遠いですね。しかし、じきに息子はピカピカの一年生です。

 

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