勇気と想像力、そして少々のお金

きれいごとを言わない、をモットーにしてますが、時折言ってます。

進学校

受験生と一緒に向き合う友人(ダイシ)がいる。市内の進学校にて、今年は3年生を担任する。昨夜22時あたり。飯でも食いつつ会おうか、ということで、僕はジョギングしつつ15分でそのファミレスへ。ダイシは学校での仕事が終わってそのまま来た。程よくじっとりと汗をかいた後のビールは旨く、連休の谷間で少し混んでガヤガヤとした喧騒のなか、2時間ほどあれこれと話した。
僕も高校時代、片田舎の進学校にいた。なぜそこを選んだのか、理由は一つだった。大学と言うトコに入ればこの田舎を飛び出せる。神戸か東京に行ける。それは、漠然とした未熟な僕の夢だった。そこに、ダイシもいた。ダイシの大学進学のための目的は、とても分かりやすいものだったと最近知った。
それは、納得のいく形で進学できなければ「漁師になれ」と親から言われていたから。それは、家の掟の様な強さを意味していた。ダイシは、漁師を選ぶか勉強を選ぶかで、自ら勉強することを選んだ。そして、僕なんかが遊び呆けているさなかも、必死に勉強した。ダイシはその姿勢を「Kくんに教わった」と言った。
Kくん。そう、僕ら同窓にとって、ある意味金字塔的な人である。折に触れて、Kくんの話をする。今はドイツでしょ、何やってるんだろうね、とか。あの時どうしてあそこまでがんばれたんだろうね、とか。人生がふわふわした未熟な17・8才の僕らにとって、勉強するということに、真正面から、毅然と取り組んでいた人。それがKくんだ。
進学校では勉強することが当たり前だ。でも、それが本当に正しいことなのだろうか、勉強するということだけじゃない高校生としての性分もあるんじゃないか、とか。つまり、勉強したくない言い訳や理屈を探しては、勉強することから逃げる側のその他大勢に、僕は片足を踏み入れていた。そして、クラスでのKくんの毅然とした姿勢に何度も打ちのめされることになる。それは、今でも。
ダイシは今年、クラス40数名の生徒とその父兄に向けて、毎週学級通信を書き、配ることを決めた。それを「ちょっと待ってて」と言って車から持ってきた。生徒と、何よりその親と一緒に、みんなで勉強をするという土壌を作ってあげたいと。本人は自己満足だと言ってたけど。

ある時期に、勉強するということに向き合うこと。それが大人になってからの、ある時期であっても。それを、僕は毅然と肯定できる大人でありたい。