勇気と想像力、そして少々のお金

きれいごとを言わない、をモットーにしてますが、時折言ってます。

森を分け入る、そして頭上の青空を見る

サイモン&ガーファンクルの1970年のヒットソング、「明日に架ける橋」。

明日に架ける橋

明日に架ける橋


もともとのタイトル、「Bridge Over the Trouble Water」を「明日に架ける橋」とするなんて、なんて上手いんだろう、と学生の頃友人と話していたのを思い出す。
書いててまた聴きたくなった。しかしこのアルバムは全体のトーンが重たいので(個人的に)、聴くタイミングが難しい。


何の話かといえば、先日の下川さん(id:Emmaus)のエントリ、「橋を架ける者たち」を読んでのこと。そこで色んなことが頭の中で駆け巡った。
最近、意識的に反芻している訳じゃないけれど、一度読んだブログの何かが引っかかっていて、よくまたそのブログにお邪魔して再度読み返すことがある。読んだ時にどこか‘ざわつく’んだけど、その時にははっきりわからない何か。

なだらかにひっそり強くしなやかに日常に生きてたいと思っている

なんだ、この言葉の並びは。
僕の中にはありえない、言葉の‘使い方’が当たり前のように並んでいる。言葉は意思を持つ。たぶん。そして、それが何かと呼応する。
それは、僕が‘こう在りたい’と願う日常そのものを指していた。それは僕の想いを言葉に乗せて運んできた。


人と話をしていて、とても楽しいときがある。
言葉はいつも気持ちに足りない*1ので、それをなんとか掴もうとして、深い森を分け入っていくような感覚で会話を必死でつなぐ時がある。そうなると出口なし。でもどこか愉快だ。すると、心の湖にちょうど良い大きさの石をぽつんと投げ入れてくれるように、誰かの言葉がすとんと入って、晴れ間を仰ぎ見る様な、気持ちが拡散される瞬間がある。上手くいけばの話だけれど。
そんな制約を持つ‘ことば’をめぐるちょっとした格闘が、ぼくの人生を一喜一憂させる。
ぼくは、そんな会話が持つ魔力が好きだ。

*1:「ことばはいつも気持ちに足りない」 これは糸井重里さんの名言だ