勇気と想像力、そして少々のお金

きれいごとを言わない、をモットーにしてますが、時折言ってます。

「カウンターカルチャー」<small>(ウェブ時代5つの定理)</small>

時代が動くための起爆剤は、カウンターカルチャーなんだと、ずーんと腑に落ちた。
そのことで、‘時代’と‘場所’(シリコンバレー)と‘ヒト・モノ’(テクノロジー)の関係が繋がった。(*本書の「第3定理 技術者の眼」にすべてがあった、まいった)
歴史を知ることで今の時代がわかってくる。今更ですが、ありがとう、梅田さん。


管理する道具=コンピュータ

そもそもアメリカのコンピュータ産業は軍事目的で始まり、第二次世界大戦が終わったあとは、政府や大企業が経営管理の道具としてコンピュータを利用し始めました。
そして、その開発の担い手は、IBMのような東海岸の大企業でした。

きっかけは軍事・管理目的で、場所は東海岸っていうのがキーなんだ。そして、

さまざまな技術進歩は60年代から着実に進んでいたにもかかわらず、コンピュータを個人一人ひとりが使うという、今では当たり前になった発想を実現することは、「コンピュータは管理の道具」と考える保守的な東海岸の企業文化からは生まれませんでした。

時代はまさに、ベトナム戦争(1960年〜1975年)の真っ只中。広い国土をもつアメリカ内ではヒッピーが大移動し、まさに溢れんばかりのマグマがふつふつといってる状態だ。


リバタリアニズム(自由至上主義)

反戦の抗議活動、ウッドストック、そして長髪も忘れてしまっていい。60年代の真の遺産は、コンピュータ革命だ。
<スチュアート・ブランド>

自由を求めるエネルギーは、服装などの外見(ヒッピー的なもの)だけにはとどまらなかったのだ。そこで終わらなかったから、ただのムーブメントではなく文化として残った。
そして、ビーチボーイズの「ペット・サウンズ」(1966年)も生まれた。(余談)
ペット・サウンズ


個のテクノロジーによるエンパワーメント

1975年頃、ハッカーたちを中心に、西海岸に手作りでコンピュータをつくろうという人たちが集まり、「ホームブリュー・コンピュータ・クラブ」が生まれます。
(中略)
彼らは、誰でも安く買えるPCを、自分たちの手でつくり出そうとしました。コンピュータを個人でつくって使うことができる ― コンピュータというものの概念が一気に転換した瞬間でした。

ここが、今のウェブ進化の根っこの部分だったのだ。個人がテクノロジーで未来を切り開こうとした第一歩だったのだ。うーん。
技術進歩とカウンターカルチャーリバタリアニズムと西海岸。すべてが融合して爆発した。ふーむ。


日本は東海岸?

日本は西海岸ではないから、もちろんその風土がない。むしろ梅田さんの指摘どおり、PCやネットを、日本ではずっと「体制側の管理のためのツール」としてしかイメージしてこなかったのだろう。

「PCやインターネットは、個に力と自由を与えてくれるもの」という文脈で読み解かないと、シリコンバレーの「技術者の眼」は理解しにくいと思います。

日本も少しずつ、西海岸へ近づけるのだろうか。でもなにより、そこの風土に惹かれた以上、自分から近づいていかなきゃいけないんだと思った。


Make The World A Better Place

個々人が、自分の関心を持つ事柄に影響を及ぼすことができると感じられれば、世界をより良い場所にすることができる。
そのためには、人々が選択の自由を行使できる環境をつくる必要がある。
<ピエール・オミディア>

いろいろ考えさせられたあとで、テクノロジーと自分の間に隔てられた壁の厚さを実感した。
ウェブ時代 5つの定理―この言葉が未来を切り開く!