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勇気と想像力、そして少々のお金

きれいごとを言わない、をモットーにしてますが、時折言ってます。

はてな批判でいろいろ思う

池田さんのブログで、ここ数日にわたっての‘はてな批判’が激しい。いわゆるネットイナゴというあれであり、はてなサイトをフリーライダーという位置づけをした。

ひどい酷評

事の発端は、梅田さんの「ウェブ時代をゆく」を酷評(まぁすごい酷評)してから始まった。
僕は「ウェブ時代を行く」を読む前に見て、そしてびっくりした。池田さんの酷評の内容を読めばどれほどヒドイかは一目瞭然だが、ここまで書くとは・・・、なのだ。
しかし、期待していた本を酷評されてもそこまで腹が立たなかったのは、毎日閲覧するブログの一つである池田さんのブログを、僕の中ではあくまでも‘情報収集サイト’として捉えていて、「この人の考え方や生き方を参考にしたい」といった人生の教科書にはしていないからなのだ。池田さんの書いた本も買って読んだが、同じこと。そして、そこでも基本的に書評は辛口なのだ。
ただ、やっぱり今回の酷評の仕方は大人のする行為ではない、残念ながら。
ネットの気持ち悪い側面

リアルな世間と同じで、気持ちの悪いものは見たくなくても目や耳に入ってくるし、そのときの処し方と言うのは、リアルであろうがネットであろうが同じ。いつも自分を試される。
つまり「その状況をどう感じ、どう‘自分のもと居た場所’に戻っていけるか」、だ。
僕はこの歳になっても、ネット上でのエグい状況(批判の集中や、排他的サイト)を見たときなど、グラグラと不安定感を覚えてしまうし、どうしようもない無力感に襲われる時がある。

(* きっと、今よりもっと若ければ、完全に打ちのめされていることだろう・・・)
それでもネットに向き合い続けるのは、そんな誹謗中傷サイト以上に、感心するサイトやブログを拝見して勇気づけられるし、そしてコメントや☆などをもらうことで得がたい思いをするから。
プラスのエネルギーを持ち続けることが、ネットと上手に向き合っていく術だ。

やっぱり比率は同じ

僕が思うに、リアル世界とネット世界の比率は同じ。
つまり経験的に思うのだが、これまでの人生で、学生時代(小・中・高・大)と社会人時代(3つの職場経験)での、「こいつはなんか気があう!仲良くなりたいっ!」っていう比率と「こいつは生理的になんか苦手!」っていう比率のこと。
人それぞれ違うのだろうが、僕は前者も後者もだいたい1割〜2割でいた。経験的に本当にそうだった。
だから、どれほどの罵詈雑言も、受け入れることは出来ないが、上手に受け流していける。これは、リアル世界で培ってきた‘生きるための知恵’。「わかってくれる人間がいるんだ」という根拠の無い自信がそれだ。
悪口を言うときの顔は醜い

僕が批判や悪口を言いたくないのは、そのときの自分の顔を想像するから。人が批判をするときの顔は、本当に醜い。批判をし続ける人は「批判顔」になる。だから、自分の大事な人たちには、人をあまり批判してほしくない。
「人間、60過ぎたら、どんな人生を生きてきたかが顔に出る」というのは、前会社の社長の言葉。きっと、その通りなのだ。