勇気と想像力、そして少々のお金

きれいごとを言わない、をモットーにしてますが、時折言ってます。

都知事に石原氏

やはり強かった。浅野氏でも勝てずか・・・。
地方選挙戦でいつも思うのだが、選挙期間中の運動のほとんどが無駄な活動に見えてならない。やっている人達には悪いのだが、車の中から「○○です、○○です、一生懸命頑張ります!」などと名前を刷り込ませるための活動を延々と行い(有名政治家に至っても応援演説は候補者の名前刷り込みのみだ・・・)、有権者にとっての判断基準は、名前を覚えているかとポスターでの顔がいいかなどの情報しかなかなか入ってこず、都道府県議選などに至っては有権者からは遠い存在なのではないか。
人が人を選ぶには、それなりの理由があるしその基準はいろいろあっていいのだろうが、選挙で人を選ぶには、その人の考え方や想い、政策をまずは聞きたいと思うのだ。
しかし、その場があまりにもなく、平日のほとんどの人が仕事をしている日中に選挙カーでくるくると回られても「あーうるさい」ぐらいで、政策や理念が分かったものじゃない。
考え得る対策としては、

  1. 各地方新聞社が選挙期間中に号外版としての候補者の政策論争を連載形式で計五回ぐらいで入れていくとか
  2. 地方テレビ局では、夕方のゴールデンタイムを使って(30分でもいい)候補者達をそろえて政策アピールをしてもらうとか
  3. 各地方の選挙管理委員会が、上記2つと併用しながら投票日のアナウンスをちゃんと行い、投票することの大事さを刷り込ませるとか

結局、出る側の意識ばかりが強いので、選ぶ側の意識を高めていきながら、「つまらない候補者なら選ばないよ」適な感覚をしっかりもってもらうようにしていく事が望ましいように思う。
選挙に行かないということが、なぜ悪いのかを言わずに「選挙に行け行け」と言ったって人は行かない。人を選びたくなったときにしか、人は選挙に行かないのだから。そこで始めて、白紙投票がどういうことなのか意味を持つのだろう。
人を選べる(選ばせる)土壌を作ることが何よりも大事なんだと思う。