勇気と想像力、そして少々のお金

きれいごとを言わない、をモットーにしてますが、時折言ってます。

岡山にて

思いもしない角度からのそれはありがたい話を頂いて、2日前に決まった岡山出張。無事にひと段落したので、そこでの思い出を少し。
思い出といっても、仕事じゃなくて、夕方からの、今現在岡山で暮らしている友人たちとの交流について。ヒロセ(愛称)を軸に。
仕事を終え、早めの夕飯はヒロセ家族とご一緒させてもらった。うちと似たような家族構成で、もうすぐ3人目が産まれる。無事を願うばかりだ。ヒロセの奥さんは、僕も昔から知っている人で、気兼ねなく過ごさせてもらえるのが本当にありがたい。2人の子どもが個室を走り回り、店員さんが来ては暴れまわる子どもを親として叱る、を繰り返しながら、どこの家庭も同じなんだなと、終始ニヤニヤしていた。久しぶりのレバ刺しが旨かったなぁ。お招き頂き、ご馳走になって、本当にありがとう。
話の折、奥さんが、「仕事だけできたら本当に楽だよね」と言い、僕は、完全に同意した。つまり、子育てについての話の中。それほど、子どもと向き合い自分の時間を割き続けることはやわなことじゃないということだ。ずっと。いつまで続くんだろう。それを、そこで起こる苦しみや喜びを、どれほど家族で共有することができるんだろうか。仕事ばかりして、一喜一憂してて、こりゃいかんなと、出張で浮かれていた僕はね、改めて思いましたよ、はい。もちろん、仕事も、やわじゃないけれど。
その幸せな家族を後にし、ヒロセと夜の町へ出た。マルという、同じく岡山在住の友人がわざわざ来てくれるということで、少し時間をもてあましていたので二人でビリヤードをした。まさか、ビリヤードなんて。
ビリヤードをしながら、いちいち、ものの見事に、学生時代にフラッシュバックした。毎日何もなくて、唯一時間だけがあった。時折、色んな思い出が邪魔してきて。やっぱ、あの頃は、毎日、苦しかったんだよなと。

1時間半のゲームは、この上なく楽しくて、お互い思っている以上に腕も落ちてなくて、負けたほうがゲーム代を払うという、あの頃と同じルールで。
勝ったヒロセは上機嫌で、次の居酒屋で「勝利の美酒だ」と言いながら、旨そうにビールを飲んでいた。瓶ビールを、何本飲んだろう。
よっぽどの運がよく、能力もあり、自信満々で人生を切り開いている人ではない限り、その時々での自分の置かれた境遇は、自分の選択の余地のない側の力で決定していくことが残念ながらほとんどで。そこを、どう捉えて生きていくか。とても、難しい問題だけれど、ただ、もう僕らの年齢になると、もう愚痴を言ってる場合じゃない、というのが本音かもしれない。その夜、ヒロセと話した色んなことは、つまりはそういうことだったと思う。そういう意味では、今の状況を冷静に捉えながら、愚痴を言わず、出来ることをやり続けているヒロセは、(時々、その性格は破綻しているとはいえ)、見事としか言いようがない。「常に台風の目であるべきなんだ」と言った覚悟が、実によく分かる。
マル*1がその後来て、さらに盛り上がり、本当に学生時代に戻ってしまった。叩けば叩くだけ響く男、マル。時代がマルに追いついてきた。ヒロセはそればかりを連呼した。もう深夜深くなって眠くって、ヒロセは帰り、マルと2人で中華そば食べて、そのまま実家の近いマルは帰ればいいのに、こっちの泊まってるホテルまで乗り込んできて、早朝始発で帰っていった。
人は、みんな見た目も、その状況も常に変わっていくけれど、変わらないものがあるとすれば、その間に漂う間柄だけなのかもしれない。それが、本当にありがたい。今回ばかりは、悔しいけれどヒロセに感謝せざるを得ない。ありがとう。
帰りの新幹線にて。

*1:業務連絡:マル、結婚近し。