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勇気と想像力、そして少々のお金

きれいごとを言わない、をモットーにしてますが、時折言ってます。

誰かに動いてもらうには

仕事 家庭

自分が率先して何か(仕事)を長期的にやり遂げようと思う時の話。最近よく思うので、頭の中を整理しながら。


まずありえない大きな例え話で行ってみると。


明日から「厚生労働大臣」になってくれと僕が野田さんから言われて、やりましょう、よーし幼稚園や保育所の一元化やら他省庁と折衝して成し遂げたいと思う事が3つほどあるぞ、よく俺を選んでくれたフンガーと意気込むとします。つまり理念ですね。(*内容はあくまで比喩です、しかもそんな理念のヒトではないです)
で、理念→実行へ移す際に気付く事があります。あれ、自分じゃできないと。ヒトに動いてもらわなければ何もできないじゃないかと。仲間にも相対する向こうさんにも。まず心を動かしてもらって、のちに体を移動させてもらって、別の立ち位置で話ができる土壌を用意しなくちゃならないんだと。


物事を順序立てて架空のゴールまで仕組み化して行く事は、正解がない分そこそこは誰でもできることで。で、そのゴールを目指し、自分以外のヒトが能動的に動いてくれる環境まで持って行くには。
強制力や大きな人参をぶら下げれば誰だって一時的には体は動く。でも当たり前なんだけれど、個としての心と体はセットなんですよね。それぞれが別の場所にあっちゃヒトとして力を発揮しない。


で。


昨日、幼稚園の竹馬練習に参加してきまして。行ってる幼稚園、年長さんは卒園までに竹馬に乗れるようになる事、が一応の習わしのようで。

15分ほど過ぎたあたりで、部下(息子)が「あきた」と一言。颯爽と距離を置く息子。息子の体はここにあれど、心は「もう帰りたい」状態。これはまさに「それぞれが別の場所にあっちゃヒトとして力を発揮しない」現象。


原因は、竹馬に乗る行為への指導力の無さはもちろん、こちらの熱意の欠如であり、最初にすべきことである意思の共有不足、それができた後に見える世界の素晴らしさ云々。色々列挙出来ますが、何よりリーダー(父)としての魅力/威厳のなさでもあります。
傍目では。親の欠席のせいか、園長先生に指導してもらっているあの子の上達っぷりたら。もう、色んな意味で目が違います。


仕事でうーんと頭を抱えている以前に、そもそも家庭内でそれができていないじゃないか、と気付いた七夕の朝でした。がんばれ俺。