勇気と想像力、そして少々のお金

きれいごとを言わない、をモットーにしてますが、時折言ってます。

吉本さん

3月16日に吉本隆明が亡くなった。最近、福岡出張に行く度に誰かがなくなってて妙なもんだと思いながらいつもと変わらない一日を過ごした。

吉本さんはリアルタイムで追うことなんて到底叶わなかった人でもあり(そりゃそうだ)、代表作の「共同幻想論」や初期の作品なんて日本語なのに読んでも頭に入ってこない、おれバカなのかと思ったし、それは読む上での素養がないからだという原因は明白なのですが、結果3ページ読んで挫折をする(小野調べでの周囲の共同幻想論完読率は0%であります)、という読者ではありますが、それを除けば過去の講演記録や後半の書物は、僕をとにかく夢中にさせた。それは今でも。また、このくらいの人になると、本人以外の著名な方々が多角的に本人を描き紡ぎだしている読み物もたくさんあったりして、それは昔、好きなミュージシャンのCDを買った後ライナーノーツを読みながらそれを書く人の音楽も聴きだすように、そこが拠点となり、僕の生活を豊かなものにしてくれる。そういう数少ない人物だった。もちろんこれからもそうだけれど。
後半生の吉本さんの何がどう僕を夢中にさせるのか。僕なんかが言うのも非常におこがましいのだけれど、結局はその寄って立つ位置の問題なのだとおもう。吉本さん自身、学者等の肩書きを持たず市井の一市民として自宅で物を書き続けた人であり、常にその発言の根っこは生活者にあった。産み、生まれ、子育てをし、生活に追われ、生活費を稼ぎ、老いて死にゆく。それぞれに差異はあれど、それぞれが何の変哲も無い市井の中で主役として生きていく人生を、強い信念で肯定してくれていた。それを、その思想を言葉に変換し語ってくれていた。それが何と言うか、ありがたいというか嬉しかった。吉本さんが、親鸞宮沢賢治を敬愛していた理由も結局はそこだと思う。みんな、何物でも無い、がゆえに苦悩するもんだ。


吉本さん、とにかく安らかに。