勇気と想像力、そして少々のお金

きれいごとを言わない、をモットーにしてますが、時折言ってます。

カズオ・イシグロのインタビュー

昨夜、NHK教育テレビでカズオ・イシグロの特集を1時間半に渡ってやっているのを途中で気づいて、一人テレビにかじりついていた。カズオ・イシグロのファンである福岡伸一が、その小説の肝でもある「記憶」について自身の考えをもとにインタビューするという、刺激的で目の離せない対話の応酬もあって、それは面白かった。
5歳で日本からイギリスに移り住み、いつか帰るはずだった日本に帰ることがなくなり、日本という国の記憶をもち続けて生きてきたこと、それが、気づいたら自分で作り上げたある意味架空の「日本という国」の記憶であったということ。それは、如実に作品に投影されていることなど。
また、今では日本が一番観光しづらい国になってしまったとも言っていた。つまり、日本語をしゃべれないから。うん、それはそうかもしれないなと思った。だって、完全に日本人の顔なのだから。
テレビを見ながら、興奮しつつtwitterで「面白い」とつぶやいたら、ひがちゃん(@ryu_higa)が反応してくれて2006年の記事をTLに流してくれた。この記事が、すこぶる興味深かった。すごく長いインタビュー記事だけど、カズオ・イシグロのモノの考え方の一端が良くわかる。その中で、個人的に瞳孔が開いた部分を抜粋させてもらいます。「人間の性」をこのように活字に出来る才能こそが小説家なんだと、思い知りました。

わたしを離さないで

わたしを離さないで

私が昔から興味をそそられるのは、人間が自分たちに与えられた運命をどれほど受け入れてしまうか、ということです。こういう極端なケースを例に挙げましたが、歴史をみても、いろいろな国の市民はずっとありとあらゆることを受け入れてきたのです。自分や家族に対する、ぞっとするような艱難辛苦を受け入れてきました。なぜなら、そうした方がもっと大きな意義にかなうだろうと思っているからです。
そのような極端な状況にいなくても、人はどれほど自分のことについて消極的か、そういうことに私は興味をそそられます。自分の仕事、地位を人は受け入れているのです。そこから脱出しようとしません。実際のところ、自分たちの小さな仕事をうまくやり遂げたり、小さな役割を非常にうまく果たしたりすることで、尊厳を得ようとします。
時にはこれはとても悲しく、悲劇的になることがあります。時にはそれが、テロリズムや勇気の源になることがありますが、私にとっては、その世界観の方がはるかに興味をそそります。
別にこれが決定的な世界観だと言っているのではありませんが、このような歪んだ世界観を描くならば、『日の名残り』でも、この作品でもやったように、常にその方向に行く方を選びたいのです。『日の名残り』は、執事であることを超える視点を持ちようがない執事についての話です。我々はこれと変わらない生き方をしていると思います。
我々は大きな視点を持って、常に反乱し、現状から脱出する勇気を持った状態で生きていません。私の世界観は、人はたとえ苦痛であったり、悲惨であったり、あるいは自由でなくても、小さな狭い運命の中に生まれてきて、それを受け入れるというものです。
みんな奮闘し、頑張り、夢や希望をこの小さくて狭いところに、絞り込もうとするのです。そういうことが、システムを破壊して反乱する人よりも、私の興味をずっとそそってきました。

『わたしを離さないで』そして村上春樹のこと
http://www.globe-walkers.com/ohno/interview/kazuoishiguro.html