「雑文集」
村上春樹の描く主人公が、どうして苦しみながらも求め続けなきゃいけないのかが、なんとなくわかった。というか本人がこの雑文集で自身の物語におけるその一貫した姿勢を要約していた。
- 作者: 村上春樹
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2011/01/31
- メディア: 単行本
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「遠くまで旅する部屋」(2001年8月)から抜粋。
僕の小説が語ろうとしていることは、ある程度簡単に要約できると思います。
それは「あらゆる人間はこの生涯において何かひとつ、大事なものを探し求めているが、それを見つけることのできる人は多くない。そして運良くそれが見つかったとしても、実際に見つけられたものは、多くの場合致命的に損なわれてしまっている。にもかかわらず、我々はそれを探し求め続けなくてはならない。そうしなければ生きている意味そのものがなくなってしまうから」ということです。
これは−僕は思うのですが−世界中どこだって基本的には同じことです。日本だって、中国だって、アメリカだって、アルゼンチンだって、イスタンブールだって、チュニスだって、どこにいたところで、僕らが生きていることの原理というものはそんなに変わりはしない。だからこそ我々は場所や人種や言葉の違いを越えて、物語を−もちろんその物語がうまく書けていればということですが−同じような気持ちで共有することができるわけです。
でも、どうしてそこまで求めたものが、いつも致命的に損なわれているんだろう、という勝手な疑問が解決しない。そうなんだよな、いつもそれが致命的に損なわれているから話として救いがあるのかないのかわからない読後感になっちゃうんだよね。昔はそれに悩まされてたんだよなぁ、ぶつぶつ。
それと、ワタナベノボルって、友だちでもある安西水丸さんの本名だったんですね。ねじまき鳥クロニクルでワタヤノボルになったのは、ちょっと悪い役だったんで遠慮したそうです(あれはワルだったなぁ)。へぇ〜