勇気と想像力、そして少々のお金

きれいごとを言わない、をモットーにしてますが、時折言ってます。

理念ではなく、例えば日々の工夫の積み重ね

今年、公私共にもっとも深く関わった一人が金城さん(id:simpleA)であり、本当に色々と楽しませてもらった。で、この人の行動原理、倫理的なものがあるんだとすれば、それは何なんだろうかとずっと気になっていたので、会うたびに色々と聞いては頷き、笑い、深く感心した。そこで、いくつかまとめてこの方の人物像を描いてみようと思う。金城さんについて「あの人って、いったい何者なの」と言われることが最近わりと近くから出てきているので。その答えになるかは別として、ある程度の人物像をなぞる事は出来るんじゃないかと思うし、翻って自分を見つめなおすことも出来るかもしれない。さて、どうなるやら。

  • 世の中をよくしようだなんて
  • 理念だけじゃ体力は続かないよね
  • 情報のボトルネックに
  • ちょっと余談を

今年の5月、日付の変わる頃の居酒屋だった。「世の中をよくしよう、とか思う?」と聞いてみた。それに、にやりと笑いもせず、ただ否定した。予想通りではあるのだけれど、その理屈に納得した。実は、軽く酩酊していたので詳細を覚えてない(マルクスの話なんかも出てきた)のだけれど、簡単に言えば、理念という物理的には手の届きようもない旗を振るって意味を見出すくらいなら、具体的に手の届く範囲の仕組み、やり方を知り、その意味を押さえて行動するほうが、ずっと意味あるでしょ、ということだった。本当にその通りだと思う。僕だって、なんだか仰々しい理念を大上段に構えて行動するより、家族であったり友人知人との関係性をずっと深く考えていたいし、そこから自分に出来る何かを探し、具体的に動く側でいたいと思っている。出来るできないは別として。

理念はそう長く続かないし、継続できない、ということを知っているのだ。精神力や若さに任せての体力勝負になりかねないと。
例えば、人はその人生で周囲より派手に目立っていくと、突き詰めれば、政治家か実業家(起業家)の2つに分かれていくとすれば、明らかに彼は後者で間違いないよな、ということだ。規模の力学に興味がないのだ。

金城さんのビジネスの局面を見ていると実業家の側面が実によく分かるんだけれど、これまで出来そうにないよな、と思われていることを実際に手を出してやってみせることで、そこにこれまで見えなかった隙間が生まれて金銭トレードが発生する。面白いのは、そこでの金銭の大小は二の次っぽいところなんだけれど。具体的な事例をここで出せないのが心苦しいけれども、そういうことなのだ。それは具体的なあまり、聞けば「なんだ、そんなことなのね」と言うんだけれど、そういうことこそ実は誰にも真似できないようなことが多いと思う。当たり前と思われていることや、出来ないと言われていることを冷静に疑っていくモノの見方の問題であり、やり抜く辛抱強さでもある。また、簡単に「それは出来ない」と言わない性も手伝っているのかもしれない。

一つ、ビジネスにおいてこの人が一番大事にしている立ち居地がある。そう僕は確信している。それは、常に情報のボトルネックを抑える側にいる、ということだ。そこは譲らないという凄みがある。もちろん、そこを抑えることの出来る図抜けた頭脳と器用さと身の翻し方があってのことなんだけれど。何故その立ち居地にそんなにこだわるのかといえば、自分が一番力の発揮できる場所だと経験的に分かっているから。そこがどれほど神経が磨り減る場所であろうと、そこで動かなきゃ意味がないと。悪く言ってしまえば、実に図太くしたたか、ということだ。これ、ちょっと恐ろしいことに、ここでの立ち居地の経験を積めば積むだけまたそこの立ち居地に立ちやすくなっていく。つまり、自ずと情報が集まってくるのだ。経験値の差はここにおいてはあまりにも計り知れない。


最後に余談をひとつ。
つい先週、この人から驚くべきことを聞いた。地下鉄をおり新宿東口から地上に出るときだ。「あのさ、俺、歩く人みんなが友達にみえるんだよね」と。これ、たぶん、見る人がちゃんと見たら、きっと病気だ。でも、その言葉に対して頷けることが多々ある。本当に友達になってしまうのだから。特に媚びることもなく、むしろ主導権をこちらに置いたままで。それが日本であれ海外であれ。あ、もちろん、よくナンパするとかではありませんからね、あしからず(笑)。