勇気と想像力、そして少々のお金

きれいごとを言わない、をモットーにしてますが、時折言ってます。

人生劇場

なんで本を読むんだと思う?
ずいぶん昔の学生時代、いつものマスターの店で良い具合にビールを飲みながら、急にタクが聞いてきた。酒が2巡以上してくると自分もそうであるように、タクも攻撃的な質問を浴びせる癖があった。それは今思えば若さだったのかもしれない。まったくなんてことを聞いてくるんだと、その本気さ加減のわからないある種どうしようもない質問に苛立ちながら、それでも答えを探しあぐねてはあれやこれやと理屈をひねり出していた。暫くしてしびれを切らしたかのように、タクは「俺は、面白いからよむんだよ」とサラッと言ってのけた。あのさ、そんなのわかってるよ、そうじゃなくてそれ以上のものを俺は本に求めているんだよ、的なことを言った気がする。確たる根拠もなく。ただそこにあるのは敗北感だけ。
友達と付き合う、話す、遊ぶ、恋愛をする、仕事をする、結婚をするかもしれないし離婚をするかもしれない、子どもができるかもしれないしできないかもしれない、浮気をするかもしれないしされるかもしれない、長生きするかもしれないし早死にするかもしれない、急激な不幸ごとが襲ってくるかもしれないし下手をして加害者になるかもしれない、いつも人生のすべては想像できる範囲の可能性に満ちていて、想定外のことも起こりうるんだということは経験則のみで学んでいく。
昨日、東京で友人たちにあった。比嘉ちゃんどうなの?りんちゃんどうなのさ?いっぺいくん、え!?先生になるの。
僕は、みんなの人生という物語がとても気になる。友人たちの、これまでと、これからが。ただ純粋に聞きたいのだ。別にそこに奇抜な展開はさほど気にしていないのかもしれない。それよりその時の心の機微が気になる。聞きたい理由は何だろうと考えてたら、タクの「面白いから」という昔言い放たれた言葉が飛んできた。そう、面白いから聞かせてくれといつも思う。不純だろうか?
本を読むことと同じように、時に友人の話に耳を傾けたくなるのは、やはり「物語」は面白いからなんだと思う。暮れかかる五反田のジョナサンで、金ちゃんに飛行機の時間まで付き合ってもらいながら、それこそ表や裏や上下左右のいろんな話をしていた。不躾でふざけた会話の途中、ちょっと真顔で「人生はそこでどれだけ揺れるかの振り幅が面白いんだよ」と親指と人差し指を若干広げゆらゆらと揺らしながら言った。この人、やっぱよくわかってんだなと感心した。確信犯なんだと。
誰にだって、その人にしかない物語が気がついたら出来上がってて、それを共有できることは面白い。その揺るぎない事実が、人と会う原動力かもしれない。