勇気と想像力、そして少々のお金

きれいごとを言わない、をモットーにしてますが、時折言ってます。

不安は不安として

数日前の「ほぼ日」で糸井さんが「これまでの人生で、きっとはじめて将来を不安に思う自分と目が合った」と書いてました。つまり、これから先の日本のことであり世界のことであり家族や友人や他人や、もちろん自分のことを含んだ『時代』というくくりに対してであるわけですが。その巧みな文章を読みつつ、率直に「むむむ、とうとうそれを言っちゃったか」と思いました。しかし概ね、ほとんどの人が感じていることでもあるのは事実だと思います。ぼんやりと、澱みの様に。
僕も、下手な考え休むに似たりと分かっていてもほとんど毎日あれやこれやと考えます。将来への展望はどこにあるのか、と。仕事について、楽しく生活し家族と暮らしていく場所について、妻や子や親や自分のことについて、関わる人、会ってもいない他人について。基本的に楽天家なのですが、強がってばかりいてもウソ臭いので、時折ずーんと不安を抱えたまま深い夜を過ごします。バイオリズム(勝手訳:命のリズム)って存在しますよね。
しかし、そんなつまんない不安も最後は音楽とビールで流し込み、翌朝、また生まれ変わって一つ一つを不恰好ながらもこなし続けます。様々な支えを糧にしながら、人の言葉に一喜一憂しながら。不安は不安として、時に世間話のように共有していかなきゃならないのかもと思い始めています。