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勇気と想像力、そして少々のお金

きれいごとを言わない、をモットーにしてますが、時折言ってます。

伝えたかったことは何か

  1. 自分がして欲しかったことはしてあげたい。
  2. 自分がして欲しくなかったことはしたくない。
  3. この時が続いて数年と思っているので後悔しないように時間を割きたい。
  4. 相手と同じ目線で、感情をそらさず真剣に向き合いたい。
  5. 自分の役割をしっかりと自覚したい。
  6. いつも、いつも感謝している。
  7. 自分が考えていることが「正しい」とは思っていないが、貫きたい。
  8. お互いそれぞれの役割を尊重したい。
  9. この状況を楽しみたい。

夫婦であることの営みは(夫婦である人にはわかるであろうが)メリットデメリットや幸不幸では計れない、それはその営みは、つまづくことが前提としてそこにあり、つまづく度にタフになる。こう書いても、すべてが不十分なくらい手に負えない、そんなものだとおもう。それを、実は「幸せ」なんだと言いたいけれど。
先日、嫁さんと子育てについて真剣に話した。真剣に話すということは、それなりの事情があったわけで。上に書いたのは、嫁さんにトツトツと子育てについて、自分が何を考えて子供と接しているのかを語ったであろうことを思い出して書いた。結論として、何を言いたかったのかといえば、「甘やかして本当に申し訳ない。けど、オレなりの考え方で子どもと遊び、(ごくたまに)叱り、ケンカし、涙してるんだ、オレも真剣なんだ、で、お互いの役割を共有したいんじゃー」ということ。
これを、世間のお母さんが読むと「いいことばっか言って、なにそれ」という声が聞こえて怖くなるが、これは、まったく嘘偽り無い気持ち。こればっかりは譲れない。
子育てが難しいなと思うのは、子どもにとって正しいことと親としての自分が思う正しいことが、合っているのか皆目見当がつかないこと。つまり、「正しさ」ということに敏感になりすぎるわけで。つまり、正しさということに意味づけをしたがるわけです。「正しい」と言われている時点でそれ以上の‘意味づけ’は理屈になるんですが。
でもこれは、自分の人生に置き換えるとちょっと変わってきて、自分の人生の糧となる出来事の大半は、決して世間では「正しい」といわれたことから学んだことではないという事実があって。裏返せば、正しいと言われてきた事があったから正しくないことが光るわけで。ただ、これは親としての役割とは別の話ですが。
結論として、深夜グラス片手にPC画面を前に酔いつつ言わせてもらえば、子どもという(親から見れば)天使のようなモンスターを相手に、夫婦でギリギリまで追い込まれ格闘できているこの状況が(タイミング的に仕事も相当忙しくなるのは何故だろう?)、これまでの自分の人生で、一番充実していると思う。これ、本当に。
昔は、厄介で考えたくも無かった家族という連鎖する大きな存在に、今ではそれこそ感謝している。実に可笑しなものだ。