虚勢と素の比率、グラン・トリノ
それどころじゃないよな、ということが多くて個人的な出来事に焦点を当てて書くことが難しくなっている。それが幾重も重なる情報量のせいなのか、「それどころじゃないよな」という部分を上手く言葉に出来ないだけなのか、どちらもあれど、まぁとにかく日常がなかなかもったりと重い。具体的に思いつく理由は5つ6つほどあれど。
それなのに、先程「グラン・トリノ」を自宅でみた。まいった。
- 出版社/メーカー: ワーナー・ホーム・ビデオ
- 発売日: 2009/09/16
- メディア: DVD
- 購入: 39人 クリック: 476回
- この商品を含むブログ (373件) を見る
これを書きながらもずーんと鈍痛が残ってる。つらい。そのアメリカという舞台も人種も戦争も、何一つこの自分の住む世界にはこれまで一度も接点すら、ましてやしっかり想いを馳せたこともきっと無い。けれど、偏屈極まりない一見虚勢*1の塊の爺さんを軸に人と人が交差し、集い、恐れ、憎み、慕い、寄り添い、別れる様が、その機微がとにかく絶妙/自然で、ただ一つ言わせてもらえばスー(だったかな?)へのアレはとにかく止めてほしかったのだけれど(それは生理的に苦手で想像力をかきむしられるから)、映し出されるシーンどれもすぐそばにある現実のようで。だから余計につらい。自分の世界に無いのは、ただ、イーストウッドのかっこよさだけで。
数日前、仕事で2日間東京で過ごした。行ってよかったし得るものも普段は会えない方とも交流をもてたし収穫は多かった。その分、普段以上に虚勢の比率が高かった。
両国KFCビルからはウソみたいなスカイツリーが見えていた。高さはムサシ(634メートル)らしい。ぴくりとも気持ちは動かない。
*1:虚勢という言葉の解釈の違いは相当あると思いますが。