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勇気と想像力、そして少々のお金

きれいごとを言わない、をモットーにしてますが、時折言ってます。

ただの強がりの一日

酔い

2010年4月も終わり暦はゴールデンウィークに入る。そのうち五月雨をやり過ごし、気温は上昇しながら夏へ。
仕事の話をちょっと。色んな思惑をもって、やりたい事、やるべき事の「想い」で積み重ね形にしたモノがあって、当然お金も若干かかれば、同僚社員の負担もあり、自分が気負える範囲で出来ないことを会社という形態でやっているわけで、だからこそ、それが、その選択が正しかったんだという結果を渇望する。もちろんそれは、手前勝手な方程式の必然で。けれど、強気と弱気を繰り返す日常で‘やわ’になるその時間が妙に永く感じるのは、予測の出来ない未来への不安を自覚する自分のせいかもしれない。もちろん気のせい、この晩酌のビールのせい。そう。
今日は20時頃帰宅。駐車場に車を停め、徒歩1分のスーパーへ。昨夜飲み終えたビールの補充と、そのついでに適当な焼酎の5合瓶を。臨戦態勢を整え、それだけで若干の疲れも遠のき、ようようと我が家のドアの鍵を開け、ふーっと一息つきながら「ただいま」と呟き玄関の内側へ。幼稚園へ行きだした息子は早寝早起きで、あの「おかえりー」と飛んで出てくる姿は最早なく。先日は幼稚園内での流行の風邪に罹患、看病する嫁さんもそれを貰い共倒れ。そんな中でも夕飯を用意してくれ「申し訳ないなぁ」と思いながら食していたのに、得意のどうしようもない想像力の欠如が露呈し、こんな時に言わなくてもいいような事をしばし口走ってしまい、ただでさえ弱っている嫁さんの機嫌を損ね、間の空気に亀裂を入れたまま、気にしない‘てい’でごまかしやり過ごしたけど時すでに遅し。嫁さんの寝た後、一人ぼんやりと液晶画面に写るニュースを眺め、じわじわ、今日の自分の全てが間違っているように思え。あながちその考え方が間違っていないかもしれないなどと思うのは、もちろん酒ではない手前勝手な酔いのせいで。しかし最も身近な人間を、つまりは嫁さんを説得できない男が、何を、どうやろうとしているんだと、実に可笑しい話だ。やる気に満ちて高揚したときの自分が本来の自分と錯覚するのがお門違いだと。未だにその間違いをやってしまう自分がいる。
そんな反省好きな男でも、言いたいことは山ほどあるのだ。酔いの‘せい’に任せて、一つ、どうしようもない強がりを言わせてもらえるならば。
ニュースや他人の安易な思い込みの言葉に惑わされ、その言葉の暴力に触れたとしても、簡単に未来を悲観はしない。そんな‘楽’な見方をする側に、利口そうな否定をする側に、何としてもつきたくない。それは、3歳の息子が見る、まっすぐで、見える世界のすべてを肯定する力を、ただ信じていたいから。