勇気と想像力、そして少々のお金

きれいごとを言わない、をモットーにしてますが、時折言ってます。

深夜、テレビの前から

妬み・嫉妬、見栄、欲望は、3人以上の人が関われば当然つきものですが、ドラマの「不毛地帯」を見終わるたびにぐったり疲れているのは、その巧みなフィクションが実生活の現実をくすぐっているからだと思います。
瀬島龍三にまつわる本をいくつか読んでいたので、「えー、背景だけのいいとこ取りでまたフィクションにするのかよ、勘弁してくれよ」とドラマ化には一人勝手に反対していたのですが、これがなんだか面白いんですよね。山崎豊子もそうですが製作側の勝利です、完敗です。勝手に戦いを挑んで一人敗北宣言です。
実は僕、最近テレビが好きなんです。夜中に一人でよく見ています。大半は録画ですし観る番組は本当に限られるんですが、うーん、面白いんですよね。もしかしたら、テレビが内包している巨大なウソの仕組みを理解できるようになったのかもしれません。つまり、テレビ側のウソと視聴者側の邪悪さを前提としているということが。そこを分かった上で挑み製作している人や演じる人が面白いような気がします。特にお笑いはちょっと凄いですね。「芸」という形が見えるような気がします。
これはテレビという公共・民放局だけの問題じゃなくて、仕事であればどの業界においても、地方の小さな企業に属する僕にだって、サービスする側の立場と受け手の立場はずいぶん似た構図をとっているような気がします。もちろん、全部がウソばかりで、ひねくれきった邪悪さばかりでは在りませんが。でも、そのどちらも少なからず内包している。
そんな本音/建前なんかを飛び越えて、どちら側も満足いく形をどうやってとっていけばいいのか、そんな着地点はどの辺にあるのか。これは自分の仕事上でも考えるべき問題なんです、きっと。うーん、なんとなく分かっているのは、ウソや邪悪さから逃げないということだけなんですが。
ま、つべこべ言わずに面白いものは面白いんですよね、いつだって。