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勇気と想像力、そして少々のお金

きれいごとを言わない、をモットーにしてますが、時折言ってます。

矛盾に苦悩する人、オバマ

政治

「戦争を正当化した」というメディアお得意のワンフレーズが随分とオバマのイメージをまたマイナスへと変えていっているようですが、そう簡単に「戦争」を正当化するような人じゃないだろけどな、なんて思っていた。ま、いつもの人への勝手な思い込みです
JMMというメールマガジンで執筆している冷泉彰彦さん(作家:ニュージャージー州在住)の、ノーベル平和賞受賞式でのオバマの演説を読み解く記事を読んで、苦悩するオバマの姿が浮かび上がってきた。以下、感じ入った部分のほとんどをそのまま抜粋。たぶんそのうちここに上がって来るはずです。
タイトルは「オバマの戦争と平和、傷だらけのスピーチ」

中でもアフガンなどの戦争のことを "just war" つまり「正当化しうる戦争」と呼んだことは、様々な論議を呼んでいます。ただ、そうした居直りにも似た姿勢を秘めながらも、ありとあらゆる論点に関してはバランスを取ったり、ロジックでかわしたり、非常に練られた内容でした。何よりも、演説の冒頭で自分のことを「戦争を遂行中の合衆国最高司令官」であると述べた直後に、

Still, we are at war,and I'm responsible for the deployment of thousands of young Americans to battle in a distant land. Some will kill,and some will be killed.(依然として私たちは戦時にあり、自分には何千という若き兵士を派兵していることの責任がある。彼らは国を離れた遠方に派遣されているが、その中の何人かは人を殺めることになり、また何人かは生きて帰ることはないだろう。)

と言った部分、そして、もう少し先にある

So yes,the instruments of war do have a role to play in preserving the peace. And yet this truth must coexist with another -- that no matter how justified, war promises human tragedy. The soldier's courage and sacrifice is full of glory, expressing devotion to country, to cause, to comrades in arms. But war itself is never glorious, and we must never trumpetit as such. So part of our challenge is reconciling these two seemingly inreconcilable truths -- that war is sometimes necessary, and war at some level is an expression of human folly.(あえて申し上げるが、戦争に訴えるという手段は、平和を保持するというのがその役割だ。だが、この事実は、また別の事実と両立しなくてはならない。それは、どのような形で正当化されるとしても、戦争は必ず人類にとっての悲劇となるという事実とだ。兵士の勇気そして犠牲は栄光に満ちており、祖国、戦争目的、戦友同志への献身の表現でもある。だが、戦争そのものは決して栄光ではないし、我々は決して戦争の栄光を高らかにうたってはならない。ということはつまり、我々は一見すると絶対に両立しない二つの事実を両立させなくてはならないという困難に直面しているのだ。その二つというのは、戦争は場合によっては必要であるが、同時に戦争はあるレベルにおいて人間の愚かさの具現だという事実だ。)

などという文言は、すでにいつものオバマ流のレトリックの範囲を超えていると思います。自分の手が血で汚れていることを認めつつ、ダークサイドに倒れるギリギリのところで耐えている「オバマ流戦争哲学の大見得」とでも言うべきでしょう。こういう矛盾に気づく人は限られています。その矛盾を自分で背負おうとする人はもっと限られるでしょう。しかし、このように世界中の注目を浴びた場で、戦争のことを「正当化されるが悲劇を生む」「時に必要だが、人間の愚かさの具現でもある」などと自分がその矛盾を背負っていることを宣言できるというのは、恐らくは人類史上でこの人ぐらいしかいないでしょう。
私は今回のスピーチには、基本的には感服しましたが、こういうことを言えるリーダーが存在するということが、アメリカの、そして人類のために本当に良いことなのかは良くわかりません。反戦のセンチメントに乗って当選したのなら、反戦で一貫してもらいたい、そのために草の根保守が騒いで国が分裂状態になり政治が停滞するのであっても、そちらの方が「まし」という考え方の方がはるかに常識的だと思います。
また、ブッシュのようなカウボーイ的な大統領が上にいて、インテリはその批判をして全体がバランスするという構図の方がはるかに分かりやすいでしょう。
ですが、私は演説の終りに一瞬だけですが、オバマの人間性を垣間見たように感じられる瞬間がありました。それは、

Somewhere today, in the here and now, in the world as it is, a soldier seems he's outgunned, but stands firm to keep the peace. Somewhere today, in this world, a young protestor awaits the brutality of government, but has the courage to march on. Somewhere today, a mother facing punishing poverty still takes the time to teach her child, scrapes together what few coins she has to send that child to school -- because she believes that a cruel world still has a place for that child's dreams.(今日も世界のどこかに、劣悪な装備しか与えられていないのに平和を守るために前線を支えている兵士がいる。今日も世界のどこかに、圧政に抗して、異議申立てのデモに立ち上がる若者がいる。今日も世界のどこかに、悲惨なまでの貧困に直面しながらも、子供の勉強を見てやる時間をひねり出し、僅かな小銭を集めて子供を学校に通わせる母親がいる。その母親にとっては、世界はいまだに過酷な場所であるけれども、それでも子供が将来を夢見る場所は残っている、そう信じられるからだ。)

という部分です。最初の二つの文章は、保守とリベラルの双方に仁義を切ってバランスを取るレトリックに過ぎないのですが、その先の「貧困に直面した母親」が「子供の夢見る場所」を信じて「勉強を見てやる時間を」ひねり出すというのは、ちょっと文脈的には不自然で、とって付けたような感じがするのです。私は、この部分でオバマは、亡き母親がインドネシア時代に寸暇を惜しんで自分の勉強を見てくれたという経験を投影しているのだと思いました。

その証拠に、授賞式の後に行われたレセプションで、ワイングラスを片手に乾杯の短いスピーチに立ったオバマは、自分の今度の受賞については色々言われているけれども、とにかくこのメダルは亡くなった母親に捧げるんだというようなことを言っているのです(NBCのニュース映像による)。乾杯の音頭ということで、プロンプターなしの恐らくは即興だと思うのですが、この発言が、スピーチの最後の「貧しい母親の希望」云々という部分と重なってくる、私にはそう感じられました。

私はこの部分にオバマの真情が吐露されているように思いました。リベラルな人類学者であった母がもしも存命であったのなら、この「バランス感覚のガラス細工であり、同時に血で汚れた戦争哲学」を理解してもらえるか、バラク・オバマという人は自信がないのだと思います。それが不自然な「貧しい母親の希望」とう文言や、メダルを母に捧げるという発言につながっているのだと思うのです。母に理解してもらえるか自信がないのであれば、それはオバマにとっての本当の良心に照らして、何らかの曇りがあるということです。そこに私はオバマの人間性を見た思いがしました。

最後のくだり、オバマはまるで人が抱える矛盾はもちろんアメリカという国そのものをマルッと飲み込んで、それから言葉を紡いでいるように見える。こんな嬉しそうじゃないノーベル平和賞って聞いたことも無い。
例え今回のスピーチが、様々なレトリックを駆使しながら取り繕いだモノだとしても、心の拠り所となる基軸を母親を含めた家族に置いているせいなのか、どこか正直で、生々しい。いい意味で政治家の機械臭がなく人間臭い。


きっと、現在は日本はもちろん他のどの国においても、それぞれの抱えている問題や矛盾がどんどん雪だるま式に増えているんじゃないだろうか。だから単純に「こうすればいいんだ」という政治手法がまかり通る状況じゃない。「誰がやってもよくはならねーよ、そんなウルトラCなんてねーよ」というのが素直な声じゃないだろうか。
でも、もしそう思うのであれば、強いリーダーがこの状況を変えてくれる、矛盾を解決してくれるという甘い幻想を捨てなきゃダメなんだろう。そして、矛盾を抱え苦悩するリーダーがいてもそれを容認しながら、個人レベルで、もしくは最小単位の集団で、裾野から自力で変えていこうとすべきこっち側の問題になってくる。
で、急にこっち側の問題になった途端に尻込みするみっともない自分がいる。まったく、・・・オバマ、やっぱりすごいね。