勇気と想像力、そして少々のお金

きれいごとを言わない、をモットーにしてますが、時折言ってます。

不景気、入口と出口、5年目を迎えての感謝

祇園精舎の・・・」と始まる平家物語がありますが(もちろん読んだことも無ければ内容も知らない)、今までに栄えていた何かが衰えて行く景色、そういったシーンが最近嫌でも目に付くようになっているのは、きっと僕だけじゃないと思います。
現実の商業施設やロードサイド店舗においてはなんだかもう当たり前になっていますが(これ、明日はわが身ですよ)、今日なんて、メールマガジンを読んでいた企業から「そういえば最近配信が無いなぁ」と思い、ちょっと気になったんでホームページを見に行ったら今年の5月で静かに更新が止まっていました。
そんな風に何かがじわじわとひっそり無くなっていく景色の傍観者の一人として、その当事者でなくてよかったなという卑しい安堵感と、それ以上に「もう自分もその当事者の一人だろ、自覚しといたほうがいいぞ」という意識がいつも働きます。それが、なんというか言葉にならない。悲しいとか嬉しいとか、まったく違う何かなんですが・・・。
で、そんな時には感慨にふける間もなく、いつも自分の仕事の体制をこれで良いのかと確認します。

・ネットとリアル
・若年層(働く世代)と高齢層(年金世代)
・地方(いなか)と都心部(とかい)
・入口(ビフォー)と出口(アフター)

僕がやろうとしている仕事上、いつもよく考えることを抜き出してみたんですが、どれも上下左右リンクしてくるんですよね。ただこれまで一番注力して考えてきたことが4番目の入口と出口なんです。僕の仕事で言うとモノ(金融商品)を売ることが入口なら、不測の事態が起きて支払うことが出口になるわけです。
僕は入口の部分で活躍する力(つまり営業力)が無いことを過去の経験で痛いほどわかっていたので、どこの入口で入った人(会社・ネット・知り合い等)でも出口の部分でジャーンと登場して活躍したいと思ったわけです。それなら高いモチベーションのまま自分でもやり続けられると。僕の属する業界はあの手この手の圧倒的な販売文化なので(入口が広い)、入りっぱなして数十年経ってから不測の事態が起きることが多いんです、その時に手続きは何処に聞いてどうすりゃ良いんだ(出口が狭い)ということが人口動態的にもどんどん増えてくるわけです。で、その狭い出口を迷い探す方たちをここにいるよとアピールしながら待ち構えようと、寄りやすい商業施設内で小さな店舗を営業しているわけです。地域密着も僕の重要なキーワードですね。そして、そんな日々の活動の延長線上でありがたいお客様がうちを入口として、検討しながら入っていただいているわけです。
そうなんです、つまり必死に出口の仕事をやり続けることで、新しい入口を提供してもらっている訳なんです。なんとも非常に大雑把に言えばですが。
でもそれで、僕と家族は、飯を食わせてもらっています。
好きで始めた仕事ではたぶんないけれど、業界的にはじわじわと先細っていくことは確実であっても、自分に出来るだろうことを必死にこれからもやって行きたいと思っています。そう「公平に、出来ることなら誠実に」です。・・・これが難しくてたまに口だけになってしまいますが。
ということで、これまでのたくさんの感謝と、今後ともどうぞ宜しくお願い致します!の気持ちを込めて。地域の皆さまと関わる皆様に心から感謝しながら、5年目もコツコツがんばります。


もちろん、精神的にも胃袋的にも支えてくれているヨメさんと家族に、これからも忘れずに感謝を。