勇気と想像力、そして少々のお金

きれいごとを言わない、をモットーにしてますが、時折言ってます。

最近のもろもろ

残暑お見舞いもスルーするような8月末。書くことが億劫になりがちな気分を廃してちょっと書きます。

選挙

衆議院議員選挙、明日ですね。周囲のみんなも意識が高くていいですね。
僕は選挙にちゃんと行きだしたのは25歳前後じゃなかったかな、と思います。そういう不届きモノなんです。だから行かない人の面倒くさい気持ちがよくわかる。そう、とにかく面倒くさいし「行ったって変わんねーよ」という思いのままでした。思考停止。その思いは、もしかしたら今もそのままかもしれません。でも、思うのは選挙に行って変わるのは自分の方なんですよね。面倒くさい場所にせっせと行って投票用紙をもらって一人無い頭を絞って名前を書いたりするわけですよ。たまには白紙で出したりして。そして家に帰って選挙結果を見て、へぇ、なんて思うんです。つまり、行く前と行った後では駄々をこねてた自分とはちょっとだけ違う自分がいるんですよね。ホント、それだけです。
今回の選挙は、ちょっと覚悟を決めて行ってきます。どっちに入れてもその結果や選んだ行為に対して言い訳もしない、という意味で。別に国の政策を頼って生きているわけじゃないんですが、まぁ、それでも、です。
岡山の友

先日の夜中、今は岡山で暮らす友人から電話が。「なぁ、今日ノリでiPhone買ったけどさっぱり分からんぞ。ちょっと破壊への衝動に駆られている」というSOSだった。うんよくわかる。質問を適当にあしらって「一週間は往生するよ」と言うと納得する。うむ、お互い大人になり‘時間’についてちょっとは学んでいるな、と実感。
この友人とは、生きることに迷いまくっていた大学時代に(僕の周りはみんな迷走していた)、部屋で呑んだ分だけ缶ビールを積み上げていって、天井に届いてからもまだ飲み続け、左右に広げて巨大なトンボを作った。もちろん携帯電話なんて持ってなかった。そこにあるのは14型ブラウン管テレビと、VHSビデオと、CDラジカセと、料金未納の死んだ固定電話と、ほとんど暗い内容ばかりの小説だった。そして、とにかく金が無かった。
当時から比べたら、お互い今は大金持ちだ。
家族

相変わらず、ヨメさんと息子に救われています。