勇気と想像力、そして少々のお金

きれいごとを言わない、をモットーにしてますが、時折言ってます。

無念を抱えて生きる人(Tさんの話)

今年のお盆は初盆だったため13日から3日間休みを取り、甥っ子姪っ子と共にプールへ川へと文字通り遊びまわってきました。日中のほとんどを海パンでウロウロと過ごしていたため日焼けの勲章をしっかり身につけて、またいつもの日常へ戻ってきました。
さて、わざわざ自分の浅い知識で戦争のことを色々と書く必要があるのかとも思うんですが、僕は普段の日常で、差し迫った物事のこと以外は、ほとんどろくでもないことばかりを考えて生きているので、せめて一日の中でふとブログに向かう時間だけは、たまには襟を正してみてもいいかなと思って書きます。
それほど、その人の話には今でも心を震わされ続けているので。また、同じく戦争体験者であり、僕の好きな吉本隆明の語る当時の想いとその方の言葉が重なることが多かったので。ただ、本で読む声と実際に本人から聞く声とでは全然違いました。当然です。


僕は過去の日本人が関わった戦争について、日本がしてきたこと、されてきた事の、そのどっちが多いか少ないかも含めて、過去の戦争を肯定したり否定したり、こと戦争に関してはそういった風に漠然と上から鷲掴みにするように捉えちゃいけないと思っています。それを吉本隆明は「支配者の目線で物事を捉える事」と言いますが、その通りだと思います。その一番の理由は、一部の日本人が戦争を体験したんじゃなくて避けることの出来ない事態としてほとんどの日本人が戦争をあらゆる角度で体験したわけですから。ある角度でモノを言うと「何言ってんだよ」って別の角度から声が聞こえて当たり前だと思います。でもあらゆるメディアにしても僕個人にしても、結局ある視点でしかモノが言えない、そりゃそうです。でも、そんな中で僕が本当に知りたい、興味があるのは、戦時中の軍部の動きや経済問題よりも、当時の僕のような一民間人はどうやって、どんな考えで生きていたのか、というそっち側なんです。だから当時の人の数少なくなった話にはなんとか耳を傾けたいと思っています。で、これからの未来に、支配者側がどんな上手い理屈をこねて戦争行為に赴く空気を作ったとしても一切ノーと言い続けるつもりです。
ちょうど1ヶ月前の7月16日に81歳になるその方(Tさん)とお会いしました。仕事のちょっとしたきっかけです。僕は強い個人的興味からその方の戦時体験を聞きたいと申し出て、3時間以上にわたって話を伺いました。
Tさんは当時16歳、周囲に負けず劣らずの血気盛んな軍国青年だったらしく、志願兵として出兵に名乗り出たとのこと。当時は志願兵といっても誰でも出兵できたわけではなく、長男はもちろん年齢であったり体調不良者は厳しく拒否され、最終的に全国から数百人の青年達が選ばれ各地に配置されていったそうです。Tさんは当時、日本はこのままじゃ負けると意識していたそうです。だからこそ、いてもたってもいられず負けるなら出兵したいと。そしてTさんは海軍に配置され、海軍末期の特攻兵器である人間魚雷の回天乗りとして訓練を始めます。毎日が死との隣り合わせだったようです。何しろ先輩方がつい目の前で亡くなっていくわけですから。死を覚悟して訓練に励み、気持ちを奮い立たせたそんな矢先、1945年8月15日の玉音放送を人づてに聞いたそうです。そして「俺の捨てたはずの命はどうすりゃいいんだ」と途方に暮れたそうです。そしてそういった自分の想い以上に、同胞が特攻で死んでいったその死を自分でどう捉えればいいのか、その部分が今でも持って行き場の無い感情として、常にあるそうです。また戦後からの10年間はTさんにとってはそれはそれは酷い時代だったようで、まだ特攻の気持ちを転換できない軍国青年の気持ちを逆撫でするような、当時の日本の行為を全て悪とされた戦後教育も始まり、Tさん自信が同じ日本人から遠目で見られるようになっていったそうです。当時の日本の現状に憂いて自らの命を捨てに行った青年の想いが、あっという間に国の政策転換で踏みにじられてしまったわけです。「いざとなったら国なんて本当に信用できないもんだと思っときなさい」と何度も僕に言ってくれました。その戦後の混乱期にTさんは人間の持つ汚らしい部分を嫌というほど見たといいます。その時のことは口に出して言うのも辛そうで、その実情を詳しく聞くことはかないませんでした。そして、当然のように戦中体験を語ることがタブーとされ、自分の子供に対しても語ることをは出来なかったそうです。それはなんと今でも。
心が戦中に留まったまま、死んだ同胞と想いを共有したまま、それを誰にもちゃんと言えないまま、戦後の日本に相容れないものを感じながら生きてきたそうです。そういう意味では、Tさんの話は戦中の辛さや対外的な恨みというよりも(対外的な恨みも相当ありましたが)そういった戦後から今日までに至る戦後の精神的問題が本当に辛そうでした。戦後の日本の手のひらを返したような仕打ち、Tさん自身の一度捨てたはずの命の問題、死んだ同胞への想い、そういったことを語るたびに、途中途中で目に涙を溜めながら、それでも必死に語ってくれました。一度捨てた命なんで戦後いつ死んでも良かったけれど、同胞の無念をなんとかはらしたい、と。そのため今でも同胞の遺族に対してや資料館へは持っている情報全てを提供しているそうです。そしてNHKへも数度となく情報提供を依頼され受けているようです。
当然、Tさんの語ってくれたことはここで書いている程度のことではないですし、人によっては相容れない部分もあるでしょうが(実際に今でも何度と無く嫌な目にあっているようです)、一人の人間としての苦しい戦中戦後体験として貴重な話を聞けたことは、これまで僕が本や映像で見聞きしてきたことでは決して分からない部分でした。その話が良い悪いというものじゃなくて戦争のもつあまりにも悲惨な一側面なわけですから。
だから、Tさんのような悲惨な戦争を体験している世代の方々が、語ることをはばかられずにちょっとでも長生きしてくれることを願うばかりです。本当にありがとうございました。

約10年以上前、まだ学生だった僕はこの「戦争論」を興味本意で読みました。そしてこの小林よしのりの戦争への視点にびっくりしたのを覚えています。両方の意味で。この本(マンガ)は数十万部売れたベストセラーのようです。

新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論

新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論


そして今は、吉本隆明の「私の戦争論」を読んでいます。そして、やっと少しずつですが色んなことが腑に落ち始めた感覚です。この本は戦争体験者の視点から、小林よしのりの「戦争論」をある程度批判していきます。
私の「戦争論」 (ちくま文庫)

私の「戦争論」 (ちくま文庫)


知らないことによって、無知の暴力で過去の行為を批判したり、人を簡単に傷つけることはしたくないです。ただ、正解が無いんですごく難しいけれど。