勇気と想像力、そして少々のお金

きれいごとを言わない、をモットーにしてますが、時折言ってます。

もろもろ、細分化された後の関わり方

今日から近隣の小学校は夏休みに突入したらしく、開店準備を始める大人を尻目に暇も宿題も持て余した悪童さんたちがワラワラ、ワラワラと無軌道に飛び跳ねています。ただただ、その光景が眩しいです。夏ですね。
虫かごと網を持って山に行きたいです。
さて、いきなり漠とした話なんですが、人(自分)って物事を細分化していくことは実に上手い/容易いんですよね、本当。それが発揮されるのが、人が集まり組織として体を成す時で、なんだか気持ちいいぐらいじゃんじゃんと物事を細分化していくんですよね。で、しばらくして「まてまて、こりゃ目的が見えなくなるんで事の起った本意を確認して一本筋を通そうぜ」ってなると途端に難しくなってくるんです、「・・・今更出来ないよ、もう元の本意が何だったか見えないし、やるにしてもものすごい時間と金と労力がかかるぞ」と。細分化の時にはあれほど容易かった作業が元の形に統合させようとした途端に気持ち悪い問題が噴出するんです、必ず。でも、みんな薄々気が付いているし見えているんですよね、それを難しくさせている要因を。道路問題なんてまさにそうですよね。みんな分かってるんですよ、きっと。
自分の関わる領域(仕事や家庭など)においてもたまにそうなるんですが、それは小さくてしっかりコミットしている世界の出来事なんですぐに本意を確認しあって軌道修正を繰り返せます。でも、そういった自分とは遠い/遠ざけたデタッチで繰り広げられる諸問題に対しては元に戻して本意を取り戻す、というそれがどうやっても不可能なんですよね。つまり自分じゃどうしようも出来ない。で、それをどうやったら可能になるのかと考えたら、もう、自分のコミットしている世界にそのデタッチしている世界の諸問題をちょっとでも引っ張り込んでくるしかないと思うんです。意識と想像力と行動力の問題になるんでしょうが。
でも、何かと忙しい忙しいという世の中なので、関心と無関心の境界線をくっきりつけてサバサバ生きていくほうが流行なんです。スマートに見える(ようです)し楽ですもんね。何より食うに困る国じゃないんだから。でも良いことの裏には、同じだけ悪いことがあるわけです、きっと。
「おい、そこの想像力の欠如した楽観主義者!」と、たまに本棚に眠る坂口安吾からイヤミを言われています。でも僕は想像力の伴った楽観主義者を目指しているんで、その声が聞こえなくなる日が来るように、恥ずかしくないように生きたいです。やっぱり、意識と想像力と行動力の問題です。
まだまだ簡単に絶望するには早すぎる。