勇気と想像力、そして少々のお金

きれいごとを言わない、をモットーにしてますが、時折言ってます。

価値観揺さぶる物語を

あれは何年前だろう?ライブドア元社長の堀江さん、村上ファンドの村上さんの「お金を稼いで何が悪い」という言葉尻だけを切り取ってメディアが毎日のように流してたあの頃。
確かに「お金」という誰もがわかりやすいモノサシ(価値基準)について、僕も色々と考えさせられた。当時、あれ?何ではっきり自分で答えが出ないんだ、なんて考えてたら、そもそも「量/数の問題じゃないぞ」ということがわかって納得した。
それが経済不況の今、企業とは何か?雇用とは何か?政治とは何か?地域とは?日本とは?外国とは?あれ?自分の人生の価値基準とは?なんて色々なことを考えさせられる。
こんな時に、ずるずる怠けて思考停止のまま漂っていくと、間違いなく「ここはドコ?私はダレ」という状況になりかねず、国や政治家は何やってんだよ!ってな見当違いの悪態をつくダメな大人になってしまう。(行政機構/政治家の責任はもちろんあるとして)
うーむ、人生とは学び続けることナリか。(コロ助ナリヨ)
はて、なんだかんだ書きましたが、<そのとき成功したもの=正しい基準/次なるレール>という方程式は成り立たないんだ、という事実を僕は本当に初めてわかった気がします。そして想像力をフルに使うべきときが来てるんだな、なんて漠然と思ったりしています。
想像力を使うこととは、つまり、きっと、たぶんの話ですが、それぞれの物語を紡ぐことなんじゃないかと。勢いついでに書くと、これはそれぞれの個人が持つ、生まれもっての唯一の‘芸’なんじゃないかと。
詩(うた)になり、人に伝わるという意味で。
中西さんが先日のエントリーでU2のボノの言葉を引用してました。

僕らは服にも自らの物語を語ってほしい、素晴らしい物語をね。例えば君がジーンズを一本買ったとする。そのジーンズの物語というのは、どこで原料の綿が育ち、誰が育て、工場のお針子はどう扱われていたか、そんな物語が一本のジーンズにすべて織り込まれているんだ、否応なしにね。
http://d.hatena.ne.jp/gintacat/20090105

そういえば、村上春樹も昨年このように物語論を語ってました。

「僕が今、一番恐ろしいと思うのは特定の主義主張による『精神的な囲い込み』のようなものです。
多くの人は枠組みが必要で、それがなくなってしまうと耐えられない。オウム真理教は極端な例だけど、いろんな檻(おり)というか囲い込みがあって、そこに入ってしまうと下手すると抜けられなくなる」
だが、そうした状況でこそ文学は力を持ち得るという。
「物語というのは、そういう『精神的な囲い込み』に対抗するものでなくてはいけない。目に見えることじゃないから難しいけど、いい物語は人の心を深く広くする。深く広い心というのは狭いところには入りたがらないものなんです」
http://d.hatena.ne.jp/sap0220/20080515

人の物語を素敵だと思う感性は、自らの物語があるから生まれるんであって。
人生がぶれない(ように見える)人たちは、自らの物語をせっせと紡いでるんだよね。ほら、あの人の名作4コマのように。


http://d.hatena.ne.jp/simpleA/20080721

1コマ目で留まって、「わーい祭りだー」と遊ぶだけじゃダメなんですよね。(遊びたいけどw)