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勇気と想像力、そして少々のお金

きれいごとを言わない、をモットーにしてますが、時折言ってます。

「アーキテクチャの生態系」

ちょっと触れます。

アーキテクチャの生態系――情報環境はいかに設計されてきたか

アーキテクチャの生態系――情報環境はいかに設計されてきたか


中山さんのブログ上での紹介に読み惚れてアマゾンの買い物カゴへと入った一冊。内容が興味範疇のことばかりなので、著者の分析も非常に興味深くいつもよりは早いペースで読み終えました。
ただ、正直に言うと、「内容・構成がすばらしい」、というよりは(もちろん構成は驚くべきものがありますが)個人的には、読みつつ‘引き裂かれる思い’を感じながら本から思いが離れ、戻り、とを繰り返したような感じでした。
一番感じたのは、「ニコニコ動画」や「ケータイ小説」のくだりになるのでそこについて触れます。
いったい何が僕の中の神経を刺激し引き裂くのか。それは僕が‘そこ’にリアルを感じないモノが強烈に存在してて、ある場所でヒトが繋がりうごめく状況・変化に対して、対応できていない・受け入れたくない・そこは僕の場所じゃない、といった主観でしかモノを見られない自分がいるからじゃないかと思います。
それは、ニコ動やケータイ小説‘自体’に対しての感情ではなく、それを使い繋がる人たちの気持ちに添えない・わからない自分がいるからで、ついつい分析をして自分の感情をごまかそうとしてしまいがちになる、ということなんです。
何のサービスを使おうが、社会一般から閉塞的だと言われようが、僕にとってそれはどうでもいいことで、それよりもヒトとヒトがなぜ繋がっていくのかという根本的な部分に‘わからない’となってしまうとそれは色んな意味で危ないんじゃないか、と思うんです。
例えば、僕は今のかみさんと付き合い、結婚したのも、当時連絡を取り合えた携帯メールが相当な役割を果たしたと思っています。それが無かったら、僕と彼女はいい感じにはなれたとしても、あっという間にすれ違っていたかもしれません。(あくまでも可能性の問題で)
で、そのことを僕の親世代が肌感覚でわかるかといえばきっとわからない。大袈裟に言えば、その携帯メールというとても小さい窓世界で起こる、行間や返信の‘間(ま)’に潜む宇宙を知らない。
つまり、そういうことが僕にとっても起こってて、僕はニコ動のアカウントを持っているけどほとんど見ないし、サービス内容はもちろんある程度知ってて使うことも出来るけれど、それを使ってヒトと繋がっていく術を知らない。これは、まったく知らないことと同じことなんだよな、と。
この本を読みつつ、著者が、ただ詳細な分析(情報構築)を繰り広げ、わかりやすく展開したかっただけなのか、もう一歩踏み込んだところで、何か言いたいのか、そのへんのとこは最後まで僕にはわからなかったけれど、僕自身の状況が、確実に年配層へ向かっているという事実は、なんともとても重く受け止めました(涙)。


最近僕はtwitterでよくつぶやくし、シュポ関係者?の参加も多くなったんで(シンプル妨害電波も多い、笑)、とても楽しいんだけど、この状況を嫁さんに上手く説明が出来ない。嫁さんは「あの金ちゃんって北海道の教授でしょ?」と全部がごっちゃになっている状況です。とにかく夫婦間(家族中)では断絶しないようにがんばります。