「日本語が亡びるとき」が来ないように英語を学ぶ
梅田さんの熱烈なエントリーに僕も触発され、頼もうとしていた本と一緒にアマゾンで頼みました。
- 作者: 水村美苗
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2008/11/05
- メディア: 単行本
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- 作者: 酒井穣
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2008/10/17
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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梅田さん効果でネットではすごい盛り上がりを見せているようで、本書を読む前に色々書くのは気が引けるんだけど、日本語しか使えないけど(本当に使えているか甚だ疑問ですが)、英語を学ぼうとしている人間として、個人的な意見としてちょっと書きたい。読後に違う世界が広がっていることを期待しながら。
日本語でモノを思う
書くこと、読むこと、聴くこと、話すことを英語でできたら、学習の幅が格段に広がるのは周知の事実で、その目的もあって僕も英語を学ぼうとしてるんだけど、「言語」ってなんだろな?という純粋な疑問もあったりして、その辺も含めて分かってきたらいいなぁ、と思っている。そもそも僕は日本語が何たるかを知らない。歴史やその変遷も含めて。
もしかしたら、英語を学ぶことで、より日本語を理解できるかもしれない。そんな淡い期待もある。
英語はやっぱり動詞が強いなぁ、と勉強してて改めて思うんだけど(中学生みたい、笑)、まず動いた後に説明がくっついてくる文法と、「僕は、こうこうこう考えててさ、だからこんな風に思ったから、あいつにこう言ったんだよ」という日本語的文法とは逆だよなぁなんて思ってしまう。
つまり、僕の考え方、思考自体がそういった日本語の土壌の上に成り立ってるわけで、日本人という括りの中に、母国語という条件があるのはこの部分が大きいのかな、なんて思う。オギャーの時から、日本語で囲まれ育ち、教育を受け、思春期を育った以上、その辺りはゆるぎない日本人としての基盤があるんじゃないかと思ってしまう。肌の色なんかよりも、その辺の「思考の基盤たる言語」の結びつきが最も強いんじゃないかと思う。いわゆる「考え方」が似ている、理解できる、という部分で。
ただ、これはあくまでも僕の場合で、幼少期に英語圏などで生活し、大人になった人にとっては、いわゆるコスモポリタンのような思想になれるのか、とても興味がある。
話はちょっと変わって、村上春樹の小説が、海外で数多く翻訳され、読まれ続けるのは、優れた小説であることは言うまでもないが、別の条件の一つとして、圧倒的に翻訳しやすいかららしい。思春期の多感な時期に海外の小説を読み続けた村上春樹少年がいたからなのか、ただの偶然なのか、その辺はよくわからないけれど、日本文学っぽくはないのは確かだし(文壇からは嫌われていたし)、影響は少なからずあるんじゃないかと思う。文法的な問題もあるのかもしれない。確かに翻訳しやすそうではある。
何を書きたいのかよくわかんなくなったけど、きっと間違いなく、今後日本語は(人口が減少している時点で)世界の言語の中では少数派として残っていくわけで、そのことにちょっとでも危機感を抱くのであれば、一人の日本人として、夫として、一児の父として、日本語に対してちゃんと向き合うためにも、英語は学びたいと思うわけです。変に大げさに捉えることなく。
読んだ後、また違った思いを抱けていることを願って。