勇気と想像力、そして少々のお金

きれいごとを言わない、をモットーにしてますが、時折言ってます。

スガシカオ

昨日のNHK「SONGS」にスガシカオが出演。ファンの一人として、見応えのある30分だった。
この人の曲の評価を不動にしている大きな要因の一つは、間違いなくその書かれる詩の世界の独創性だと思う。別に難解な言葉でもなければ目新しさもないけれど、曲によってはその歌詞から、情景が匂いたってくるような臨場感を持つ。

黄金の月

黄金の月


デビューから2枚目のシングル「黄金の月」なんかがまさにそうで、スガシカオはこの曲にその時のすべてを込めたと昨日も語っていた。うん、そのとおりだと思う。この曲を違う視点で見たときの歌詞が「夜空のムコウ」だろうとも思う。

想像した世界観で詩を書いても聴く人には伝わらないことが多いんです。でも、その当時に実際に経験し感じていたことを書くことでスッと聞き手に伝わる。そんなもんだと思います。

うる覚えの昨日の記憶で書きましたが、こんなことを言っていた。スガシカオの紡ぎ出す歌詞の‘嘘のなさ’を表していると思う。
最近のスガシカオの曲では、「夏陰」という曲に僕は文字通り唖然とした。この曲にはメロディの良さもさることながら、そのメロディに乗った歌詞に過不足がないのだ。これ以上どこも削れない、という文章の緊張感が伝わってくる。
・・・ただ、この曲がその夏の「熱闘甲子園(ABC放送)」に使われ、個人的な中学時代の部活動(野球)を強烈に思い起こさせるからかもしれないのだが。

奇跡/夏陰/サナギ

奇跡/夏陰/サナギ


まぁ、好きな人なんで大げさに書いてますから、その辺をどっと差っぴいてくれたらありがたいです。
でも、もうちょっと書くと(笑)、この人の歌詞のうまさは「終わりから始りにかけて」の空気感を表現するのがとてもうまい。つまり、夜更けから明け方にかけての、誰しもが抱えるあの魔物的な‘うっそう感’というか‘妙な喪失感’を、平易な言葉で滲み出させるのだ。その塩梅がうまい。描きたい心情や雰囲気を直接的には書かかない。これってとても難しいと思う。
夏陰」の歌詞も‘青春(夏)の終わりとこれから’という「終わりと始まり」の景色の断片をさらってきて書いている。
過去にスガシカオはこう言っていた。

僕は目が極度に悪いんで、見えないモノを伝えるために、それを人に見えるように必死に書こうとしている部分はあるかもしれません。

目の悪さというよりも、この辺りの‘感覚’が鋭いと僕は思う。
また、この人の詩の世界がブレないのは、過去の自分に対して「かっこいいだろ、これ」と思って書いているかららしい。

19歳の前後に必死になって音楽を聴いて楽しんでいた自分に対して、聴かせることができるような曲を書いていたい。

と。これはすごいと思った。これじゃブレるはずがないのだ。10年、20年しても‘かっこよさ’の軸を持ち続けることはとても難しいと思う。それが流行り廃りの多い音楽業界にすればなおのこと。この辺の感覚は、甲本ヒロトの語るドリフ理論と通じるものがある。
ドリフ理論とは・・・。
これ、僕が勝手にドリフ理論と言ってるだけですが、昔、甲本ヒロトはパンクロックをやり続けることの例えとしてドリフターズ(あのドリフです)をあげて、

「ドリフなんてもう笑えないよ」、なんてずっと見てきた人が言い出しても、また下の子供たちが年を重ねたら笑ってくれる。つまりドリフを面白いと笑ってくれるその層は必ず存在してて、そこでやり続けることが、僕はかっこいいと思う。

なんてことを、ずいぶん昔(ブルーハーツの初期)のインタビューでヒロトは言った。僕はそれを聞いただけで甲本ヒロトのファンになった。そこで初めて、同じ音楽をやり続けること、変化をしないこともかっこいいんだと知った。


あれ、・・・話がとんでもなく飛んでしまいましたが、とにかくスガシカオはかっこいいな、と思うわけです・・・。(ダメだこりゃ)