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勇気と想像力、そして少々のお金

きれいごとを言わない、をモットーにしてますが、時折言ってます。

コミュニケーションをめぐる物語

今日は、もうすぐ大分へとお越しいただく中山さん(id:taknakayama)について、まずは勉強します。ある人を学ぼうとする上で、ブログの存在はこの上なく便利ですね。
・・・それがいけませんでした。中山さんのブログの周辺で、ある一つの物語が動き出してしまいました。

2006年9月20日 横浜

さっきまで、ちょうど2年前の2006年9月頃の中山さんを訪問してきました。ちょっとしたタイムマシンですね。うんうん、相変わらず元気そうでしたよ。
で、ブログについて興味深いことを中山さんはまとめてました。

2006/9/20
■ 遠いコミュニケーションの功罪
http://d.hatena.ne.jp/taknakayama/20060920/p1

2年前のこの時期に、すでにブログについて正面から向き合っている中山さんが垣間見れます。「毎日をブログと共に過ごす」といった実験をされているんです。何事にも熱血ですね。そして良心的(笑)。で、気になるのがタイトルの「遠い」という例え。コミュニケーションについて語るときに‘遠い’という言葉をあてますか、普通?
そして、三上さん(id:elmikamino)とのブログ上での深いやり取りを、往復書簡のように繰り返してきたことも、うかがい知れます。物語の伏線は張られているわけです。
で、当時のブログについての感想を、こうまとめられています。

  1. 毎日続けるのは難しい
  2. 毎日続けるのはたやすい
  3. 気分で書いてしまう
  4. addictされる
  5. 繋がる感覚、切れたくない感覚
  6. ブログ的トピックの存在
  7. 外国語の情報紹介は難しい

ふむ。ブログの骨子はまさにその通りですよね。
で、そのブログを‘書くこと’で見つめた視点で、その時の現状をこう綴っています。

職場にいる時間からブログを書き終える時間にいたるまで、僕は常に“無闇に急ぎ、急がされ”ながら均質な速いコミュニケーションの流れに浮かんでいる

と。なぜか。
そこに‘時間軸’という概念を持ち込んで、三上さんがするりと割り込んできたからです。時間と格闘する物語のはじまりです。

2006年9月18日 札幌

そこで2年前の三上さんにも会ってきました。まだ、花咲爺さんの萌え芽の頃です。「遅い」コミュニケーション、というキーワードで書かれたこのエントリーは、時間という‘流れ’の感覚をぐらつかされます。

2006/9/18
■ 「遅い」コミュニケーション
http://d.hatena.ne.jp/elmikamino/20060918/1158599491

物語は1999年、ウェブに熱狂して自前のサイトを立ち上げた‘若き日の三上さん’の前後で大きく動き出します。
その物語が、技術的なモノへフォーカスしながら、新しいコミュニケーションの誕生に沸き、熱狂する。しかし、インターネットの歴史に、ある種の希望を完全に一度絶ち、しかしまた疑心と共に火を灯していく三上さん。
ブログという一つの入り口から、大変な迷宮へと入り込んでいきます。そこに流れる時間の速度感に、「文字」と「音」と「生命」を付着させ、大きくうねっていきます。

こうしてブログをやりながら、ずっと考えて来たことのひとつも、ブログによるコミュニケーションの「時間」のことだった。ブログに向かっているときに一体自分はどんな時の流れを生きているのか。無闇に急ぎ、急がされてはいないか。答えはまだ出ていない。

コミュニケーションにとって、文字とは、声とは、音とは、いったい何ですか? いや、そこに流れる体感時間こそが全てですか・・・?
この辺りから、物語は、途切れ途切れにしか聞こえてこなくなります。でも、これだけは聞こえる。
「心で聴きなさい」と。


2008年9月14日 大分

外に出ると、風が、そんなすべてのもやもやを、すべてさらっていきました。視界の端で、息子が笑って走ってきました。