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勇気と想像力、そして少々のお金

きれいごとを言わない、をモットーにしてますが、時折言ってます。

走るときの時間の流れは具体的だ(SJC編)

早いもので走り始めて一ヶ月が過ぎました。
週5のペースで毎日約5キロのジョグ、累計距離にして100キロ超えたあたりです。(別に累計にする意味はまったく無いのですが・・・あくまで目安で)
で、結構単純なことが実感としてわかってきたんですが、それは「時間は有限」なんだよなぁという当たり前の感覚です。

‘走ること’を‘続けること’でしか、つまり自分の体に負荷をかけ続ける事でしかわからない‘時間の流れ’があって、その走っている30分前後の時間の流れ方が、走っている自分にとっては、非常に具体的で手に取るように体感できるんです。(「体の具体的な疲れ」がそうさせるのか?)
で、そのことで、無自覚に過ぎていく時間が妙に気になりだしたんです。(無自覚に過ぎていく‘楽しい時間’なら良いのですが)

「いつかすればいいや」とか「いつかできればいいな」、という感覚はきっと時間の有限性がわかってない時の感覚で、将来の自分に対しての無責任な行動形態*1で、でも僕は多くの物事を未来の自分に向かってじゃんじゃん放っていたような気がします。
それは今でも結構あるようです、残念ながら。(苦笑)
でも、出来ないことがわかって出来ることを知るように、ある一部の時間の流れを強く自覚することで、それまで無自覚だった時間を有効に使わなきゃ、放って良い事と悪い事がある、と考え始めました。
これって何かとてつもなく大事なんじゃないかな、と、そんな気がしています。
くたびれる事の多い日常で、なかなか自分が選び使っていける時間を捻出するのは難しいですが、自分を変えたいのなら、そこの時間をモノにしなきゃ変われないのかもしれないな、なんて思いました。


走ることって、なんだか知らないけど奥が深いです。

*1:「無責任に将来の自分に託す」というこの辺の感覚は比嘉さん(id:Ryu-Higa)が鋭いんです、気づかせてもらいました。