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勇気と想像力、そして少々のお金

きれいごとを言わない、をモットーにしてますが、時折言ってます。

「物語」と「私塾」

精神的な囲い込み

今、村上春樹の独占インタビューが毎日jpに掲載されていて、今日の第三回に‘はっ’とするような物語論が飛び出した。

「僕が今、一番恐ろしいと思うのは特定の主義主張による『精神的な囲い込み』のようなものです。
多くの人は枠組みが必要で、それがなくなってしまうと耐えられない。オウム真理教は極端な例だけど、いろんな檻(おり)というか囲い込みがあって、そこに入ってしまうと下手すると抜けられなくなる」
だが、そうした状況でこそ文学は力を持ち得るという。
「物語というのは、そういう『精神的な囲い込み』に対抗するものでなくてはいけない。目に見えることじゃないから難しいけど、いい物語は人の心を深く広くする。深く広い心というのは狭いところには入りたがらないものなんです」

このことが、とても物語の枠だけの話ではないような気がした。

強固な行動倫理と価値観

先日読み終え、今再読中の「私塾のすすめ」。再読するには理由がある。梅田さんはおわりに、

「時代の変化」への鈍感さ、これまでの慣習や価値観を信じる「迷いのなさ」、社会構造が大きく変化することへの想像力の欠如、「未来は創造し得る」という希望の対極にある現実前提の安定志向、昨日と今日と明日は同じだと決めつける知的怠惰と無気力と諦め、若者に対する「出る杭は打つ」的な接し方・・・

これら一つ一つの要素を、きっと僕は持っている。これらの古き慣習に嫌悪感を抱きながらも、自分の中に残念ながら内包されていることを僕は知っている。
そして、そのことを梅田さんと齊藤さんは知っている。

本書を読んでくださった読者の皆さんの外部にあって批判するものではなく、皆さんの内部に根強く存在している。そしてそれが強敵の強敵たるゆえんです。齊藤さんは私と、本書を通して、皆さんに真剣な戦いを挑んでいるのです。

一回目の読書で、僕は‘真剣な戦い’を棄権していました。だから、再読しています。

‘精神的な囲い込み’を自ら作ることで安心を長く得たい想いと、その枠を常にはみ出していたい想いの両方を抱く自分がいる。その比率はわからない。そして、その囲い込みの数も、どうも一つじゃなさそうだ。

ただ、その囲い込みの‘範囲’は、出来ることなら広く深く、豊かに持ちたい、そう想っていることは確かだ。

私塾と物語

ブログを通じての今回の一連の出来事の渦中におられた皆様(京都・名古屋・横浜会議に参加された方、もちろん大分もね)は、その当日の夜、きっとこういった囲い込み的な概念や、古き習慣から完全に離れた、本当に「見晴らしの良い場所」に立っていたと思う。
つまり、‘物語’をみんなで作り、狭い既存の世界に収まりきれずに飛び出し、肩書きや年齢を一切問わず、「空気」を作るリーダーのもと、集い、語り合ったのだから。これこそが私塾であり、リアルな物語として、参加者の心を広く深く育める土壌になるのではないか。


この一端の動きに触れることが出来て、そして同時期に出されたこの本に対して、僕は心から感謝している。

私塾のすすめ ─ここから創造が生まれる (ちくま新書)

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