太陽が両極端をもつ世界での、感染のススメ
僕の中で、勝手に繋がった。ありがたや。
太田の言葉
人が生きていくために、もっとも必要で、根源的な要素である‘太陽’は、無くてはならないものだけれど、人を殺してしまうこともある。
物事のすべてには、常に両極端がある。だって、太陽がそうなんだから。
爆笑問題の太田が、以前言っていた話。その時は表層的な理解しか出来なかったことが、何かと繋がることで、すとん、と腑に落ちることがある。
今更こんなことを、といった感じだけれど、僕には結構新鮮な驚きだった。
梅田さんのエントリ
先日、梅田さんの‘12冊の書評エントリ’をブックマークし、ふとまた読んでいた。その中で茂木さんの著書「思考の補助線」の書評で、まずこう引用していた。
「AかBか」と問われたときの大抵の正解は、脳科学の見地から言うと「AとBの両方」なのです。
(中略)
新著「思考の補助線」(ちくま新書)で茂木は、対立する概念に身を挺して補助線を引くというアプローチによって、「AとBの両方」を追求し続ける。「科学と思想」「理系と文系」「厳密性と曖昧さ」「同化と個性化」「現実と仮想」「総合と専門」といった現代のさまざまな問題に、鮮やかな補助線を次々と引いていく。小林秀雄の名著「考えるヒント」を彷彿させる。
この時も、そうだよなぁ、としか感じ得なかったし、「やっぱり、小林秀雄を読もう」と決意したぐらいだった。
そして、昨日の深夜、茂木さんのクオリア日記を読んでいて、刊行を期に「ちくま書房」に書いたエッセイがリンクされてあった。
そして、茂木さんの言葉
そのエッセイ(「手つかずの大海を夢見て」)が本当に素晴らしかったので、「思考の補助線」を色々欲しかった本と一緒に、早速ネットで購入した。
最近、ブログを書き、ネット上の無限に近い情報と向き合おうとすればするほど、自分の存在のはかなさを思い知らされ、よっぽど「知らなければ幸せなこともあったんじゃないか」?なんて、逃げ腰の自分が見え隠れしたり、時には逆に、その未知の可能性に興奮しウキウキしたり(ただの一人上手だなぁ)と、リアルでもネットでもはっきりと定まらない、自分の立ち居地の脆さを考えていた。それは今でも大して変わらないけれど、茂木さんのこのエッセイで、悶々と考えていた日々に、ちょっとした終止符を打てる気がする。
その文中のなかでも、きらりと光る「感染のススメ」の言葉を抜粋。
新しい動きには、まずは感染してみるのがよい。そうでないと、現代に向き合うことができない。
ありがたや。