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勇気と想像力、そして少々のお金

きれいごとを言わない、をモットーにしてますが、時折言ってます。

「爆笑問題×京大 独創力!」〜その1〜

先日の「爆笑問題のニッポンの教養」(NHK)の京大スペシャルがすこぶる面白かった。
東大、慶応に続き、3校目。哲学者の西田幾多郎に代表される京都学派、湯川秀樹をはじめとする5人のノーベル賞受賞者を輩出し続ける京大。最近話題の万能細胞の研究で今もっともノーベル賞に近いといわれる山中教授も京大だ。
爆笑問題の太田が、独特の世界観で、毎回礼儀知らずに教授陣に手加減なしで挑みかかる姿は、(時には不快な面もあるが)その映し出された映像は、すごい説得力を持つことがある。そして知識以上の大事な何かを考えさせられる。

言葉以上のモノ

今回の京大スペシャルを終えて、太田は、

それで結局何を思ったかっていうと、やっぱり現場で実際に言葉にしていくことの内容っていうかな、学問が・・・とか、独創性が・・・とかいうことはさ、もう最終的にはどうでもいいことなんじゃないかってことですよ。
人間と人間がワーッと夢中で話していることそのものが与えるインパクトの方が、普段僕らが一生懸命言葉を探して表現しようとしていることよりも勝っちゃうんだなっていう。多分今日会場に来てくれた学生たちも、何を話していたのかっていうのは忘れちゃうかもしれないけど、ワーッと何かやっていた、自分たちもワーッと聞いていたっていうことの方が、何か記憶に残るんじゃないかなと思うわけ。
そういう意味で言うと、僕らは言葉を仕事にしているんですけど、やっぱり言葉にあまりに重きを置きすぎているんじゃないかって思えてくるんですよね。特にこの番組をやっていると。それをまた改めて思いましたね。

番組サイトより引用)

テレビという舞台がそれを可能にする。ウェブにはまだ用意できない舞台だ。
テレビはウェブリテラシーの高低なんて関係なく、広くすべての人たちが有象無象に集まることを可能にする。この事実を理解し、テレビで勝負をしている太田は、番組という舞台で上手に踊る。だから、すごい爆発力をもつ。

テレビとウェブ

たとえば、どんなに素晴らしい研究内容だって、今やあっという間にウェブを使って広く世界に知れ渡るけれど、それを見聞きし内容を紐解き理解していく為には、

  1. まずウェブを上手に使いこなし
  2. その情報を理解するためにさらに検索し続け
  3. その話題のコミュニティサイトなどを発見し
  4. さらに理解を深めていく

という手順を追っていくとする。すると最終的にはウェブリテラシーの高い一部の人しか残らない。だからテレビのような爆発力は半減する。
それがネットの良い部分でもあるし、寂しい部分でもある。
「すべての人がわかり、楽しく、感動できるものを作り、それをテレビで流したい」というニュアンスで、よく語る太田の必死の姿は、胸を打つものがある。テレビにはそれが可能なんだという信念を持っている。
一部の人にしかわからない言葉で語る世界は、それがどんなに素晴らしい学問や物語であったとしても、その‘感動を伝える’ことが出来なければ意味がない。そう思う。
ネット(検索)を使わない日がないという太田だけれど、必死にコミットしているのはテレビ。こんな男が必死にがんばっているテレビの世界は、まだまだ捨てたもんじゃないと思う。