勇気と想像力、そして少々のお金

きれいごとを言わない、をモットーにしてますが、時折言ってます。

「ウェブ時代をゆく」を読み終えて

この本は、著者の想いが‘爆発’している。
本書のあとがきに

本書は、まじめで一生懸命な若者たちの、そして昔そういう若者だった大人たちの心の中に、未知の世界を楽しむエネルギーが生まれてほしいと思いながら書いた。

この本の目的は、これ以上でも以下でもない。この一点に、著者の情熱が注がれている。

「どういう言葉をもってすれば、この想いが伝わるのか」という怨念にも似た感情を、(特に最後の数十ページにわたっては)全力で投げかけてくる。

そして、その想いの実現の為に、著者の個人的体験を、(本当に文字通り)切り売りしながら、オプティミストであり続けることの必要性を、切実に訴えかける。
その中での大前提は「個がサバイバル」すること。その意味を、著者はこう言い切る。

私は「社会変化とは否応もなく巨大であるがゆえ、変化とは不可避との大前提で、個はいかにサバイバルすべきか」を最優先に考えてきた。そのことに後悔はない。
社会をどうこうとか考える前に、現実問題として個がしたたかに生きのびられなければ何も始まらないではないか、今もそう考えている。

著者の哲学だ。しかし、本書はその‘サバイバル指南書’を目指しているのではなく、あくまでもこういった‘考え方’‘生き方’‘過ごし方’のロールモデル(お手本)があるんだよ、ということを、オープンソース現象などを引き合いに出しながら紹介する。
そして、「一歩を踏み出す勇気」で得られるロールモデルなんて、すぐ目の前にいくらでもあるんだし、うまく使っていけばいいんじゃないか、ということを示唆し続ける。
それは、今を「時代の大きな変わり目」と捉え、この時代を生き抜くためには今までにない「新しい強さ」が必要だから。それを身に着けるにはどうしたらいいのか、を若者に考えてほしいから。

そこで、大事なのは「古い価値観」を信用しないこと。このことに自覚的かつ意識的であってほしいと著者は願う。ここを非常に危惧している。なぜならそれが「はじめの一歩」を踏み留ませる大きな要因になるからだ。
その「一歩を踏み出す勇気」のことを、

「荒海に飛び込む」ようなものではなく「雨の日に自転車に乗る」くらいのことなのだ。

とする。むしろかっこいいじゃないか。

そして最後に、あとがきで著者は‘書くこと’の意義をこう記す。

モノを書く意義は、それを読んだ人の心に何が生じたかに尽きる、と私は思う。

その通りだと僕も思う。
悲観的な姿勢を貫く理由なんて何もない。時々悲観的に物事を考えてしまうが、大事なのは前向きに生きようとする姿勢なのだから。
乗り降り自由な「知の高速道路」を使って、それぞれが「自分という人生」を、出来うる限り豊かに生きていくしかないのだから。

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)