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勇気と想像力、そして少々のお金

きれいごとを言わない、をモットーにしてますが、時折言ってます。

司法制度とは

現行の裁判制度の判決に対して「はてな?」を頭に浮かべているのは僕だけなのか。裁判官や検察、弁護士。なかでも一般に馴染みのないのが裁判官。テレビで静止画像のように出てくるだけで、傍聴する以外に拝見する機会はない。
裁判の判決で、ほとんどすべての尺度となるのが過去の判例である。この唯一の尺度を利用することが間違っていることに国は早く気付くべきである。
判例を尺度とするメリットは、誰が裁判官であろうが一定の判決を出せ、裁判官の責任回避機能がそこにはあること。 つまり機械である。 PCに過去の判例をすべて組み込み入力すればおのずと判決が出る、それと同じことだ。
過去の判例とは、過去の時代背景やそのときの空気をすべて内包しているものであって、現在の時代と合致するはずがないのだ。それなのに頑なに判例にこだわるのは、能力のなさなのか、制度の不備なのか、政府の怠慢なのか。
村上春樹が村上朝日堂の読者返信メールでこのように書いています。
この送信した読者の方は、これから始まる裁判員制度に自分が選ばれたら自信がないのですが…、の様な内容のメールを送っています。
そして↓が村上春樹氏が返信したメールです。

こんにちは。僕はオウム関係でけっこうひんぱんに裁判所の傍聴に通いましたが、それでわかったことは、裁判官の質にはかなりばらつきがあるということです。傍聴していても「こいつ、けっこう問題あるよな」というような裁判官に何度か遭遇しました。もちろん感服したくなるような立派な裁判官もおられました。でも中には「もし僕が何かの事情で裁判にかけられて、こんなやつに裁かれることになったら、参っちゃうよな。浮かばれないよな」といいたくなっちゃう人もいます。

 だから僕は裁判員制度というのも、それはそれでいいところがあるんじゃないかと思いますよ。「もちろん実際には、本職の裁判官や裁判長が全てのことを運ぶということが分かっていても」とあなたはおっしゃいますが、裁判官ってみんながみんな、そんなに立派な人たちでもないんです。ごりごり勉強して司法試験に受かって、ろくに世の中の実相も知らないまま、ぽんと裁判官になって偉そうな顔をしている、みたいな人々もなかにはいるでしょう。司法というのは狭い世界ですから、そこにおける自分のキャリアが第一で、法の公正さなんて二の次だみたいな裁判官もいるかもしれません。自己保身がだいいちという人だっていそうです(たぶん)。そんな人々よりは、世間を知っているごく普通の一般市民の方が、むしろものごとの判断能力が優れている場合もあるのではないか、というのが僕の見解です。ただもちろん、ガイドラインみたいなものは明確にされていないと困りますが。

 お忙しいとは思いますが、一度何かの裁判の傍聴にお出かけになるといいですよ。日本の現今の司法制度に対して暗澹たる気持ちになってきます。権威主義的で、やたら細かいことにうるさくて、江戸時代のお白州とあまり変わりないような気さえします。「刑事裁判にかけられるようなことだけはするまい」と僕はいつも固く決心して帰ってきます。ほんとに。裁判官だけではなく、検事にも弁護士にも、けっこう変な人がみうけられるし。もちろん、まともな人もちゃんといるんですが。


村上春樹

すごく的を得たコメントだと感心しました。