勇気と想像力、そして少々のお金

きれいごとを言わない、をモットーにしてますが、時折言ってます。

「雑文集」

村上春樹の描く主人公が、どうして苦しみながらも求め続けなきゃいけないのかが、なんとなくわかった。というか本人がこの雑文集で自身の物語におけるその一貫した姿勢を要約していた。

村上春樹 雑文集

村上春樹 雑文集

「遠くまで旅する部屋」(2001年8月)から抜粋。

僕の小説が語ろうとしていることは、ある程度簡単に要約できると思います。
それは「あらゆる人間はこの生涯において何かひとつ、大事なものを探し求めているが、それを見つけることのできる人は多くない。そして運良くそれが見つかったとしても、実際に見つけられたものは、多くの場合致命的に損なわれてしまっている。にもかかわらず、我々はそれを探し求め続けなくてはならない。そうしなければ生きている意味そのものがなくなってしまうから」ということです。
これは−僕は思うのですが−世界中どこだって基本的には同じことです。日本だって、中国だって、アメリカだって、アルゼンチンだって、イスタンブールだって、チュニスだって、どこにいたところで、僕らが生きていることの原理というものはそんなに変わりはしない。だからこそ我々は場所や人種や言葉の違いを越えて、物語を−もちろんその物語がうまく書けていればということですが−同じような気持ちで共有することができるわけです。

でも、どうしてそこまで求めたものが、いつも致命的に損なわれているんだろう、という勝手な疑問が解決しない。そうなんだよな、いつもそれが致命的に損なわれているから話として救いがあるのかないのかわからない読後感になっちゃうんだよね。昔はそれに悩まされてたんだよなぁ、ぶつぶつ。

それと、ワタナベノボルって、友だちでもある安西水丸さんの本名だったんですね。ねじまき鳥クロニクルでワタヤノボルになったのは、ちょっと悪い役だったんで遠慮したそうです(あれはワルだったなぁ)。へぇ〜

村上春樹ロングインタビュー

考える人 2010年 08月号 [雑誌]

考える人 2010年 08月号 [雑誌]


村上春樹の3日間にわたるインタビュー。聞き手の松家仁之(マツイエマサシ)*1さんがどういう人か存じあげませんが素晴らしいですね。じっくりと人間村上春樹に迫ります。2007年の「走ることについて語るときに僕の語ること」は独自のメモワールでしたが、今回は松家さんという聞き手がいての、作家になる前となった後の人生の回想録。面白かったです。「走ることについて・・・」の時には、音楽はコンピュータを通してはまだ聴く気になれない、とかなんとかでMDウォークマンで走っていたのにすっかりiPodをフル活用しているあたり、しっかり進化しています(笑)。
中でも感銘を受けた生きる姿勢についてちょっとだけ抜粋。何せ一冊の短編小説ぐらいありますから。

村上:習慣はすごく大事です。とにかく即入る。小説を書いているときはまず音楽は聴きませんね。日によって違うけれども、だいたい五、六時間、九時か十時ころまで仕事します。
− 朝ごはんは食べずに。
村上:朝ごはんは、七時ころにチーズトーストみたいなのを焼いてちょっと食べたりするけど、時間はかけない。
− あとはひたすら書いているのですか。
村上:そうですね。だれとも口をきかないで、ひたすら書いています。十枚書くとやめて、だいたいそこで走る。
− 十枚というのは、四百字づめの原稿用紙に換算しての十枚。
村上:そう。僕のマックの書式だと、二画面半で十枚。書き終わると、九時か十時くらいになります。そしたら、もうやめてしまう。即やめる。
− そこから先は書かないんですか。
村上:書かない。もう少し書きたいと思っても書かないし、八枚でもうこれ以上書けないなと思っても何とか十枚書く。もっと書きたいと思っても書かない。もっと書きたいという気持ちを明日のためにとっておく。それは僕が長距離ランナーだからでしょうね。だってマラソン・レースなら、今日はもういっぱいだなと思っても四十キロでやめるわけにはいかないし、もっと走りたいからといってわざわざ四十五キロは走らない。それはもう決まりごとなんです。
− たとえば青豆と天吾の章が交互に出てくるBOOK2で、青豆とリーダーの対決のシーンが終わったところが、その日の六枚目だとしても、つぎの章を四枚書くわけですか。
村上:もちろん。

− どうしてペースを守ることが大事なんでしょう。
村上:どうしてだろう、よくわからない。とにかく自分をペースに乗せてしまうこと。自分を習慣の動物にしてしまうこと。一日十枚書くと決めたら、何があろうと十枚書く。それはもう『羊をめぐる冒険』のときからあまり変わらないですね。決めたらやる。弱音ははかない、愚痴は言わない、言い訳はしない。なんか体育会系だな(笑)。
今僕がそう言うと「偉いですね」と感心してくれる人がけっこういますけど、昔はそんなこと言ったら真剣にばかにされましたよね。そんなの芸術家じゃないって。芸術家というのは気が向いたら書いて、気が向かなきゃ書かない。そんなタイムレコーダーを押すような書き方ではろくなものはできない。原稿なんて締め切りがきてから書くものだとか、しょっちゅう言われてました。
でも僕はそうは思わなかった。世界中のみんながなんと言おうと、僕が感じていることのほうがきっと正しいと思っていた。だからどう思われようと、自分のペースを一切崩さなかった。早寝早起きして、毎日十キロ走って、一日十枚書き続けた。ばかみたいに。結局それが正しかったんだと、いまでもそう思いますよ、ほんとうに。まわりの言うことなんて聞くもんじゃないです。

− 「ピーター・キャット」の七年、八年というのも、村上さんの小説家としての姿勢に少なからぬ影響を与えたということですね。
村上:店をやるのにくらべれば、小説を書くなんて本当に楽なものだと当時は思いました。こんなに楽でいいのかと思ったから、ある程度、自分に規制をかけないと駄目だと思ったんです。こんな楽をしていちゃ人間が駄目になると思った。だから日々走るようになったところもある。書きたいときでなくても書くというのは、考えてみれば当たり前のことなんですよ。労働というのはそういうものです。店は時間がきたらあけなくちゃならない。今日はやりたくないなと思っても、やらないわけにはいかない。いやな客だなと思っても、いらっしゃいませとにこにこしないわけにはいかない。そういう生活を長く続けていれば、書くということに対しても、同じ労働倫理を持ち込むのは当たり前になってきます。もし僕が学生からそのまま作家になったとしたら、労働倫理というような考え方はまず出てこなかったでしょうね。

最後に、エルサレム賞の受賞を批判一色で受けたことと、スピーチについて。

村上:メディア的にみると批判一色でした。
− たしかにそうでしたね。
村上:あのことで何を一番実感したかといえば、そういう状況での情報の一方的噴出というのはずいぶんきついものだということです。僕は新聞や雑誌はあまり読まないけれど、それでもまるでダムが決壊したみたいに、情報が圧倒的水圧をもってどっと押し寄せてくる。そして、情報を与えられた多くの普通の人は、それを字面のまま受け入れてしまう。受け入れ、さらにそれをよそに発信していく。怖い社会だなと、改めて実感しました。
− あれだけ大きな戦争を経験したにもかかわらず、日本社会の情動的な部分の広まり方というか、一気にある方向にばーっと流れていく感じはまったく変わっていなくて、その繰り返しが何十年と続いていると思うことがあります。常に針がどちらかに極端に振れるばかりで、ちょっと待てよと立ち止まって考えることが少なすぎる。メディアのあり方も相当影響を与えていると思いますが、それは表裏の関係に近いような気がします。
村上:さらにいまは、大きな声で言う人が勝つという感じが強まっているような気がします。言うだけ言って責任を取らない。エルサレム賞のスピーチは、あのとき僕にできる最大のことでした。あれ以上のことは言えないし、あれ以下では意味がない。ぎりぎりのところで最善のことをやったつもりです。もっとはっきりイスラエルを批判すべきだったという声もあったけれど、実際にあの場所で、そんなことできるわけがないんです。現地に行けば、そんな空気じゃないんだもの。
− でも村上さんのスピーチの効力はすごかったと思います。あのスピーチが、メディアの論調もぜんぶひっくり返したという感じがあった。

村上:エルサレムの市長はあのあとで僕に握手を求めてきて、「あれこそが小説家のスピーチだ」と言ってくれました。卵と壁があったら、卵を支持するのはあたりまえだという意見もあります。でも、本当にそうなのかなと思う。卵と壁があったとき、自己責任を背負って、百パーセント卵の側に立てると断言できる日本人がどれだけいるだろうと個人的には思っています。僕だって絶対という自信はありません。
卵を支持するというのは、気分的なものではだめなんです。それなりの決意と、最後まで責任を取る覚悟が必要です。僕は地下鉄サリン事件の実行犯の裁判を聞いていて、そのことを強く感じました。この人たちがやったことはまぎれもない悪であり、許されないことだ、それでもなお僕は彼らの側に立ってものをしっかり考えなくてはいけないんだと。そのことで被害者の人に糾弾されたとしても、社会に糾弾されたとしても、その気持ちは変えられない。その気持ちが『1Q84』のなかにもずいぶん入っている。イスラエルのあの刃物が混じったようなぴりぴりした空気のなかで考えたことは、また東京地裁の硬い椅子の上で考えたことは、僕がいま小説で考えていることにそのまま地続きでつながっています。もちろんここでけりがついたわけではなくて、僕はこれからもずっと同じように考え続けていくことになるでしょう。

*1:松家仁之さんについてはここが詳しいです。http://www.junkudo.co.jp/hensyusya_tana.html

村上活字中毒

世間は村上春樹1Q84(3)の発売で沸いているようで、これほどまでに読まれる作家になるなんてほとんどの人がびっくりしてるんじゃないかと思う。広告戦略と言ってしまえばそれまでだけど。先日の朝日新聞に、太宰治が「この人の心情は自分にしかわからない」と思わせる作家であったことを引き合いに出して、村上春樹は「この人の物語の世界を分かるのは自分しかいない」と思わせる作家であろう、なんていうことを誰かが書いていた。ふむふむ、わかるような、わからないような感じである。かつて村上春樹は良い作家の条件の一つとして、書き手が読み手に「兄ちゃん、もう一本打ったろか?」と活字でドラッグ中毒にさせるようなことができればそれは良い作家かもしれない、と書いていて、その例えの危うさと上手さにドキッとした覚えがある。15年程前の僕は間違いなく村上春樹の活字に酔いしれたジャンキーだった。どこの本屋に寄っても間違いなくマ行からチェックしてたし、まだ読んでいない本は無いかとその村上棚を確認し「あっ!」と発見しては迷うことなく購入した。学生時代の僕は、どんなことであれ村上春樹に語って欲しかったのだ。取り上げる素材は何でもいい、何でもいいから活字にしてくれ、それが無理なら「やれやれ」をくれ、と。そう、完全に中毒だった。今でも身体が覚えた村上活字による陶酔感は簡単に抜けきれるものではなく中年に差し掛かっても村上本から発する「兄ちゃん、もう一本打ったろか」という甘い声に誘われてついつい手が伸びてしまう。しかし、僕は1Q84を未だに購入していない。一つは色んなタイミングの問題もあるけれど、とにかくハードカバーが苦手なのだ。重さと厚さと大袈裟さに一人うんざりする。周りに言っても賛同されたことがないので僕が間違っているのは分かっているんだけれど。それでもハードカバーへの苦手さは年々増すばかり。こうやって文庫になるまでのんびりと待てるようになったのは、もちろんただ歳を取ったから。そしてあるとすれば、「物語」は逃げないという事実に気づいたからだ。物事には順序なんて無いさ、と。
しかしこれだけは最初に書くべきだったかもしれない。僕は今、すごく1Q84が読みたいのだ。